title:オヤジからのキラーパス

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7月より、首都圏および沖縄県においてもタスポが導入され、これで日本のどこへ行っても成人識別カードなしに自動販売機で煙草を購入することはできなくなる。禁煙エリアの拡大も、分煙化も結構だが、ここまで来るとこの国は狂っているとしか言いようがない。もちろん、喫煙者である己の不便を嘆いてのことではない。

タスポ導入には、システムの構築から運営まで約800億~900億円の費用がかかるといわれている。こう言っては語弊があるかもしれないが、たかだか未成年者の喫煙ではないか。それほどまでの社会コストをかけてまで取り組まなければいけない「重大犯罪」とはとても思えない。未成年者の非行防止という観点でいうなら、もっと他になすべきことがあるではないか。禁煙推進派によるタスポ導入の圧力は、俺には集団ヒステリーとしか映らない。

一方ではこんな話もある。タスポは業界の自主規制で、当初は、成人識別装置を持った自動販売機への切り替えに強制力はなかった。そこで、日本たばこ協会などが財務省に働きかけ、成人識別装置のない販売機の設置を禁止し、違反者には営業停止や販売許可取り消しの行政処分を科すという行政指導が通達されることとなった。タスポの開発や運営には、日本たばこ協会をはじめ、多くの団体・企業がかかわっている。タスポ導入の裏側には、自動販売機切り替えによって大きな利益が見込めるこれら煙草産業周辺企業の思惑も見え隠れする。

つまりは、タスポ特需を見込んだ周辺企業が、禁煙推進派の集団ヒステリーを利用してその導入を推し進めてきた、というのが事の真相か。

俺は成人識別カードをつくるつもりはない。煙草を買うために面倒な手続きを強いられるなんて、真っ平ご免だ。自動販売機以外で購入させていただくことにする。そういう面倒臭さがり屋が増えれば、そのうち自動販売機そのものがなくなっていくかもしれない。その方が、禁煙推進派がヒステリックに叫ぶよりも、よっぽども未成年の喫煙防止に貢献できるというもんだ。


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【2008/06/24 15:37 】 News | コメント(15) | トラックバック(0) |

先週末のこと。わが少年サッカーチームは、大会初戦でまさかの敗退。午前中にして早々と予定を終えてしまっていた。しかも、家人と子供たちは用事で外出中。俺は、一人で休日の午後を持て余していた。

シャワーを浴び、敗戦の悔しさを洗い流して、夕食の買出しに出かける。店内をうろついていると、ウィルキンソンのジンジャーエールが眼にとまった。「お、扱うようになったんだ…」。こいつを置いている店は意外に少ない。その瞬間だ。頭の中で悪魔が囁いた。俺はウィルキンソン・ジンジャーエールを手に自宅へと取って返した。

まずはベランダの鉢からミントの葉を3、4枚調達。そいつを氷を入れたグラスに入れ、軽くつぶして香りを出す。そこにウィルキンソン・ジンジャーエールとハバナクラブを入れて、軽くステアすれば出来上がりだ。ソーダとライムの代わりにジンジャーエールを使ったモヒートというか、ミントを入れたラム・バックというか、とりあえず頭の中に思い浮かんだものを適当に入れたオリジナルだ。

グラスを手にベランダに出る。俺の喫煙用に置かれたテーブルと椅子に着き、グラスを傾ける。うまい…。ラムの風味とミントの香りはモヒートを思わせる。ウィルキンソンならではの辛口のジンジャーエールが味をキリリと引き締めている。イメージした通り、暑い日にぴったりのカクテルではないか。

夕食の用意を始めるまでには、時間がある。日もまだ高い。たまには、さっさと負けてみるもんだ。明るいうちから呑み始めた酒は、つくづく蜜の味であった。「蜜の味」のレシピには、適量の背徳感が欠かせない。




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【2008/06/17 16:19 】 Drinking | コメント(2) | トラックバック(0) |

日本のポップ・カルチャーの発信地であり、世界のヲタクの「聖地」ともいえる「アキバ」で、とんでもない事件が起きた。25歳の青年による白昼の無差別殺人である。秋葉原という土地柄なのか、ビデオやカメラを持っていた人が多かったようである。テレビでは、現場に居合わせた人々が捉えた、事件直後の惨状が連日流されている。その生々しい映像や画像は、テロ現場を連想させ、日本の「安全神話」がもはや幻想に過ぎないことを改めて思い知らされる。

事件の背景がはっきりしていない今の時点で、こういうことを書くのは少々気がひけるのだが、この事件の根底にもまた、今の日本が抱える格差社会の問題とそこから派生する閉塞感が色濃く影を落としているような気がしてならない。

容疑者の青年は、自動車メーカー下請け工場の派遣社員として働いていたという。進学校を卒業したものの正社員雇用の道は険しく、いつ解雇されるともわからない、不安定で先行きの見えない労働環境下にあったらしい。日本の自動車メーカーがビッグ3の座を脅かし、過去最高の業績を上げているその裏には、自らは恩恵を授かることのない好況を下支えさせられている、たくさんの労働層が存在しているのである。

俺のように50近くにもなったオヤジならいざ知らず、25歳という年齢であれば、たとえそれがささやかなものであったとしても、自分の将来に対して、何がしかの夢や希望を持っていてしかるべきである。ところが、そうした年代を生きているはずの若者が、「希望のあるやつには分かるまい」と言い放ち、「世の中が嫌になった。生活にも疲れた」と絶望し、このような惨劇を引き起こすとは尋常ではない。

戦後の日本は、まさにどん底からのスタートだった。戦後の復興が「これ以上悪くなりようはない」ところからの出発だったとしたら、今は「どこまで悪くなっていくのか分からない」状況に置かれているといえよう。にもかかわらず、そこから抜け出す術すらない時代である。

徹底した競争原理の下に、「富める者がさらに富めば、やがてその豊かさが下々の者にも恩恵をもたらす」というのが、小泉以降の改革推進者の論理である。ところが現実はそうだろうか。彼らの言う「改革」は、富める者とそうでない者の格差を拡大し、中流層を破壊し、代わりにどうやっても豊かになることのできない層を生んできただけではないか。

昭和の発展は、健全な中流層によって支えられてきた。「がんばれば、明日にはもっとよくなる」。多くの者がそう信じ、前向きに生きてきた。そして、それが社会の原動力ともなっていた。ところが、平成の今は、持てる者や大企業の都合のいいように世の中の在りようが捻じ曲げられ、結果として中流層の壊滅的な破壊が進んでいる。かつての健全な中流層は、いまや「がんばっても、がんばっても、明日の見えない」層へと貶められている。

もちろん、原因を社会システムのせいにして今回の事件の容疑者を擁護する気など毛頭ない。ただ、今回の事件が、ある特定の環境の中で、ある特定の人物が起した、ごくごく稀な、例外的で突発的な事象ではないということが言いたいのだ。我々は今、一部の利益享受者のためだけに機能するような社会システムの中で生きることを強いられている。そのような社会にあっては、今回のような事件が再び起こったとしても不思議ではない。

『ALWAYS三丁目の夕日』に代表される昨今の「昭和ブーム」は、単にあの頃の風景や風物に対するノスタルジーではなく、未来を信じて生きていられたことに対するノスタルジーではないか。もはや、今の日本にはなくなってしまったものに対する。



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【2008/06/10 14:27 】 Politics | コメント(6) | トラックバック(0) |

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