title:オヤジからのキラーパス

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Feeded by morning star
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かなり前からのことだが、立ち呑みスタイルの店が人気を集めている。わが社の近くにも、ワイン専門のスタンディングバーなるものが登場して、若い女性客で賑わっている。「立ち呑み」といえばもっぱら中高年男性御用達というイメージも今は昔である。

俺が初めて立ち呑みを経験したのは、大学入学の直後だった。「椅子のない居酒屋」といったオーソドックスな立ち呑み屋をはじめ、カウンターの上におかれた七輪で客が自分で串を焼きながら食べる焼きトン屋まで、いろいろな店に通ったものである。「立ち呑み」というスタイルも面白かったが、何よりも安く呑めるのが貧乏学生にはありがたかった。ホッピーを初めて呑んだのも、立ち呑み屋だった。

そんな店の中でもとりわけ印象深い店があった。店の中は、7、8mぐらいの長さのカウンターが1本。あとは壁に沿って幅の狭い板を呑み台として這わせてあるだけという実にシンプルなつくり。立ち呑み屋であるからして、もちろん椅子はない。しかも、床は土。つまり土間だった。カウンターの中には店のおばちゃんが1人。そして、その背後に設えられた棚にはズラリと缶詰が並べられていた。そう、その店の酒肴は全て缶詰だったのである。

陳列された缶詰の中から好みのものを注文すると、中身を器に盛って出してくれるというのがその店の基本的なスタイルだった。たとえばオイルサーディンの場合だと、軽く温められたものがサニーレタスを敷いた小皿の上に缶ごと乗せられ、そいつに醤油をちょっとたらし、いちょう切りにしたレモンを添えたものが出てくる。これが、さば味噌缶なら七味とネギが、ウインナーの缶詰なら粒マスタードが、添えられている。そんな具合である。それを缶詰の定価に何十円か上乗せした程度の値段で食べさせるわけである。実際には、卸から仕入れていたのだろうから、利益はもう少しあったに違いないが、それにしても安い。

俺はその店で缶詰のうまさに開眼した。さば味噌や鰯の生姜煮などは、下手な店のそれよりも缶詰のほうがよっぽど旨いのではと思わされた。中でも、鮭の水煮缶にレモン醤油というのが、俺のお気に入りだった。あまりに旨いので、自宅でもそれをつまみに一人の宴を催したりもしたのだが、不思議なことに、どうもこれが店でやるほどにはしっくりこないのだ。たかだか缶詰である。何もわざわざ店まで出かけて行って食べるほどのつまみではない。自宅に買って帰れば、さらに安く上がるし、第一、立ってむ必要もない。にもかかわらず、およそ飲食店とは呼び難い「缶詰専門店」で呑むのと比べても、自宅で味わうそれはどこか味気なく、十分には俺を満たしてはくれなかった。

その店は、いつも仕事帰りの工場従業者や土木作業員と思しき人たちで溢れていた。あたりには、日々のしがらみから解き放たれたつかの間の開放感が漂い、心地のよい喧騒と紫煙が彼らを包み込んでいた。おんぼろアパートでの一人酒にはそれはない。缶詰しか出さないとはいえ、そこはれっきとした「酒場」であった。

人は、単に酒が呑みたくて酒場に繰り出すのではない。酒場が醸す場の雰囲気に身を委ねたくて、今宵もまたその扉を開けるのだろう。

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【2008/02/29 16:32 】 Drinking | コメント(4) | トラックバック(0) |

もう、かれこれ5、6年も前の話になるであろうか。

その日、仕事で遅くなった俺は会社の近くでタクシーを拾った。運転手は深夜乗務員としては珍しく女性だった。歳の頃は50代後半か。若い頃はさぞかし美人だったろうと思わせる、整った顔立ちをしていた。

タクシーの運転手には、世間話の好きな饒舌なタイプと道を聞く以外余計なことは一切喋らない寡黙なタイプの人間がいるが、彼女は前者の方であった。行き先を告げるやいなや、気風のいい語り口調で話しかけてきた。

「お客さん、こんな遅くまでお仕事ですか?大変ですね。いえ、私もこう見えてね、少し前までは、バリバリに働いていたんですよ。いわゆる女社長というやつでした。ま、女社長といっても、私が起業したわけじゃなく、大学を出て、親の家業を継いだだけなんですけどね。仕事ですか?いわゆる解体屋ってやつです。ビルとかをぶっ壊す、あれですよ。建物を建てるのはともかく、ガンガン壊していくのは、性に合っていたんでしょうね。もう、仕事が楽しくて、楽しくて。毎日が、仕事、麻雀、仕事、麻雀…の繰り返し。ええ、そうなんですよ。当時の私は、仕事と同じぐらいに麻雀にのめりこんでいましてね。男衆に混じって結構高いレートで打ってました。今でも麻雀は相変らず大好きでね。時々一人でふらりと雀荘に行って打つこともありますよ」

「会社はね、一時期は信じられないくらい儲かったんですよ。バブルの頃なんて、営業もしないのに、次から次へと、それこそ請け負いきれないくらいの仕事が向こうから勝手に来ましたからね。それが、バブルの崩壊とともにおジャンですよ。仕事の単価も坪あたり半額くらいに下がちゃってね。決して楽な商売ではありませんから、それじゃあ、割に合わない。それに、私も現場に出て作業の指揮をしていましたが、そういつまでも体力が続くわけでもないですしね。いい頃合かなと思って、親の代から続いた会社を畳みました。それで、こうしてタクシーの運転手をやっている次第なんですよ。幸い娘二人も大学を卒業してますしね。私一人が食べて、手慰みに麻雀をやるくらいは、この商売で稼げますから。従業員を抱えて会社をやっていたころに比べれば、今は、気楽なもんですよ」

「はあ?旦那ですか?旦那なんていませんよ。仕事に夢中だったので、結婚なんて考えたことはなかったですもん。男の人に頼らなくても十分生きていけましたし。それにうちの両親は夫婦仲が悪くて…。それを見て育ったせいもあるんでしょうね。結婚なんて絶対にしないと思ってました。え?娘?もちろん娘は私の実の子供ですよ。実はですね、私は結婚はしたくなかったけど、子供だけは欲しかった。だから、大学時代の、あ、私は一応慶応を出たんですけどね、その頃の仲間でいちばん良さそうな種を選んで、つくってもらいましたよ。ちょっと協力してよ、って感じでね。もちろん、認知してくれなんてケチなことは言いません。養育費だってビタ一文もらってない。全部私が稼いだお金で立派に育てました。女手ひとつでね。たいしたもんでしょう。ええ、私の種を選ぶ眼が確かだったんでしょうね。二人ともちゃんと慶応を卒業しましたよ」

「いやぁ、今夜はお客さんと話ができて楽しかったです。運良く最後に長い1本を乗っていただけましたので、今日はこれで上がりにします。麻雀の話をしたら、無性に打ちたくなってきたので、上がったら雀荘にでも繰り出しましょうかね。どうも、ありがとうございました。お忘れ物はございませんか。おやすみなさい」

会社から自宅までは高速を使って30分弱。呑んだ帰りならともかく、仕事帰りの深夜タクシーでは神経が昂ぶっているせいか寝る気になれない。いつもなら、運転手のつまらない世間話に適当に相槌を打ったり、さもなくばじっと黙って車窓を流れていく水銀灯を眺めているのだが、その日は結構まともに運転手さんの話のお相手をさせていただいたのだった。



Feeded by morning star
【2008/02/26 15:58 】 Old Days | コメント(10) | トラックバック(0) |

たまたま、自宅の冷蔵庫に白菜とニラ、玉ねぎ、生姜があったとはいえ…。いやいや。やはり、それは言い訳か。

先週末のことである。さて、夕食を何にするかということになって、先述のような冷蔵庫事情があったので、「久しぶりにギョウザにしよう」ということで家族の意見の一致を見た。

早速、俺は寒空の中を買出しに繰り出した。いつも利用しているスーパーでは、ちょうど挽き肉が安売りになっている。なんという僥倖か。あとはギョウザの皮さえ手に入れれば、材料の調達は万全である。で、商品の陳列棚を見ると…。なんと、ギョウザの皮のところだけがポッカリと開いているではないか!見ると、棚には「メーカー欠品のためご提供できません」との張り紙がある。ギョウザの皮がなければ、ギョウザはつくれない。白菜の代わりにキャベツで、というようなわけにはいかない。

「ひょっとして…」。ある思いが頭をよぎる。俺はそのスーパーを後にして、近くにあるもう1軒のスーパーへとクルマを走らせた。が、またもやその店でも、ギョウザの皮は売り切れ…。「まさか…」。我が家はこのままギョウザにありつけないのではないか、という恐怖が真実味をもって迫ってくる。

今、世間を騒がせている毒入りギョウザ騒動は、中国産食品の危険性をあらためて知らしめるとともに、我々の中に潜在していた「ギョウザ欲」を強く呼び起こしたのではないか。俺は「ギョウザの皮欠品」をそう推測した。ギョウザは食べたし、されど冷凍やチルドなどの加工品は怖し。となると、その安全性を原材料にまで遡って確認できる「手づくり」ということになる。そんな心理が多くの人に働いたのが、陳列棚からギョウザの皮が姿を消した原因ではないかと考えたわけである。が、果たして人間はそんなに単純か…。自説に確信が持てないまま、そして、それが的外れな仮説に過ぎないことを願いながら俺は次のスーパーを目指した。

結局、次の「スーパーでも、またその次のスーパーでも、ギョウザの皮に遭遇することは叶わなかった。何で、たかがギョウザの皮が、一時期の「ドラクエ」や「ニンテンドウDS」状態になってしまうのだ!ここまでくると、先の推測もあながち穿ち過ぎというわけではないようである。こうなると、他の代替メニューは思い浮かばない。どうしてもギョウザが食べたい。その一心である。そこで俺は一計を案じた。

次に俺が向かったのは、とある有名スーパーである。そこは、モノの値段を気にすることなく買い物ができるような人たち御用達の高級店である。そういう暮らしぶりの人たちであれば、いかに連日「ギョウザ、ギョウザ」と連呼されようとも、そんな庶民じみた食べ物に「欲」を喚起されることもないのではないか、と考えたわけである。

果たして。作戦が功を奏したのか、それとも高級店ならではの商品調達力がなせる業か、はたまた単なる偶然だったのか、その有名高級スーパーにギョウザの皮はあった。しかし、残るところ4袋のみ。高額所得者の方々もそれなりに「ギョウザ欲」をお持ちのようである。俺はそのうちの2袋を手にして、レジへと向かったのであった。

それにしても。思った以上に人間は単純だったようである。毒入りギョウザ騒動のなかで、皆が「ギョウザ欲」を掻き立てられた。たまたま自宅の冷蔵庫にギョウザをつくるに十分な材料が揃っていたという状況があったとはいえ、俺もまた、意地になってギョウザの皮を追いかけた。結局は、毒入りギョウザ騒動に踊らされた、単純な人間の一人だったようである。



Feeded by morning star
【2008/02/12 15:43 】 Diary | コメント(6) | トラックバック(0) |

アメリカ大統領選挙は、いよいよ最大の山場である「スーパー・チューズデー」を迎えた。今回は、これまでになく多くの州の予備選挙・党員集会が集中するため「メガ・チューズデー」とも呼ばれている。その選挙戦の報道を見るにつけ、つくづく大統領選とは、「光背効果」の競争であると思わされる。

光背効果(halo effect)とは心理学用語で、ある対象を評価する際に、顕著な長所があると、すべてを良く見てしまい、逆に顕著な短所あると、その他のすべてを悪く評価してしまう心理傾向のことを指す。例えば、ゲレンデで出会った容姿端麗な人物と、後日、街で再会したらそれほどでもなかったとは、よく聞く話である。カラオケでやたら歌のうまい人を見るとその人がカッコよく思えるというのも、同様。つまり「スキーが上手い」「歌が上手い」といった後光(halo)により、それとは何ら関連性のない容姿の評価までが左右されているのである。これが光背効果である。

各候補者はその出自、功績、応援してくれる有名人など、自分に利する全ての要素を総動員して光背効果の最大化を狙う。また相手候補に対して行われるネガティヴ・キャンペーンは、それとは逆の負の光背効果を期待してのものだろう。最近では「女の涙」という禁じ手を用いて光背効果を演出した候補者もいたし、接戦になるに連れ中傷合戦も激しくなってきているようだ。

ゲレンデやカラオケボックスのように、特殊なシチュエーション下のみで作用する、持続性の低い光背効果であれば、大きな過ちになる前に気づくことも可能である。しかし、大統領選では、各候補者により、巧妙に、入念に、幾層にも、光背効果が塗り重ねられる。その化けの皮がはがれたら、ブッシュ家のバカ息子という希代の愚か者を自国のリーダーとして選ばされていたというのが、前回の大統領選ではなかったか。今回こそ、アメリカの有権者が、ゲレンデの美男子、美女を見そめないよう願うばかりである。






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【2008/02/05 16:21 】 Politics | コメント(10) | トラックバック(0) |

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