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title:オヤジからのキラーパス

今日は久しぶりにカラリと晴れて、いかにも夏らしい1日となった。日向と日陰が強いコントラストを織りなすこんな日に、決まって思い出す風景がある。夏休みの学校のグラウンドである。真っ白に照り返すグラウンド。その周りに濃い影を落とす木立。普段は掛け声が飛び交うテニスコートやハンドボールコートには人影もない。いつもグラウンドの半面を使用している陸上部員の姿も見えない。グラウンド全部がわれらサッカー部のものだった。そして、いつもより広く感じられるグラウンドの風景は、ある水の記憶へと連なっていくのである。

わが高校のサッカー部では、毎年夏休みに学校敷地内にある宿泊施設を利用して、1週間程度の合宿を行っていた。早朝の散歩に始まり、午前中はサーキットトレーニングなどのフィジカルトレーニング、午後は戦術練習、夕食後にはルール講習もしくは体育館でレクレーションを兼ねたバスケットボールかフットサル。今から考えたら、こんな殺人的なスケジュールで、よくぞ身体がもったものだと思う。

合宿では肉体的な疲労もきつかったが、何といってもつらかったのは喉の渇きであった。当時は練習中に水を飲むことはタブーとされていた。水を飲むと体力が落ちると思われていたからである。もちろん誤解である。

大量に発汗した後に水をがぶ飲みすると、胃壁や腸壁からいちどきに水分が吸収され、血液濃度が急激に下がる。そうすると身体は、水分不足であるにもかかわらず、それまでの血液濃度を保つために水分を排出しようとする。それがかえって水分不足を呼ぶことになる。しかし、適切な給水方法で補ってやれば、そんな状態にはならない。身体によくなかったのは、水を飲むことではなく、水の飲み方だったのだ。発汗により体内から流出した水分や塩分、ミネラルはきちんと補給してやらなければいけない。運動中であれば、なおさらのことである。さもなければ、重篤な事態を招きかねない。あの炎天下の合宿で「水を飲むな」という指導を律儀に守っていたら、今頃俺はこの世にいなかったかもしれない。では、我われはどのようにして身体の渇きを癒し、生きながらえたのか。

方法はふたつあった。ひとつは、手洗い場のある方向へわざとミスキックするというもの。ボールを取りに行く際に隠れて水を飲むわけだ。が、この方法は比較的成功率が低かった。敵もすっかりお見通しで、手洗い場のほうに転がったボールを取りに行こうとすると、その背中に向かって監督や先輩の声が飛んでくる。「水は、飲むなよ!」。そこまで目をつけられては、さすがにノーチャンスである。

もうひとつの方法は、練習と練習の合間の短い休憩時間に試みられた。このとき、顔を洗うようなふりをして喉を潤すのである。水を飲むことは禁止されていたが、手や顔を洗ったり、頭から水を浴びることは許されていた。両手を合わせて水道の水を受け、手の平にたまった水をすすりながら顔をこする。見た目には顔を洗っているようにしか見えない。とはいえ、ことさら丁寧に顔を洗っていたのでは怪しまれる。この方法では、せいぜい2、3回顔をこするうちにわずかの水をすすり込むのがやっとだった。

他にも、頭を蛇口の下にもっていき、水を浴びるふりをして、頬を伝ってくる水をすすり込むというのもあった。しかし、この方法は苦労の割には思ったほどたくさんの水が飲めないのと、何よりも水をすする音でばれてしまうという欠点があって、すぐに廃れてしまった。

こうした涙ぐましい努力にもかかわらず、練習中にありつける水は、身体が欲している量に比べると余りにもわずかであった。それだけに、グラウンド整備と練習用具の片づけを終えて、ようやくありついた水は何物にも代え難くうまかった。心を震わせるほどの甘露であった。蛇口に口をつけて飲む、わが高校の水道の水は、Evianにも劣らぬ美味だった。今ではもっぱら酒の毎日だが、ただの水道水に至福の喜びを感じていた青春時代もあったのである。

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Feeded by morning star
【2007/07/24 19:39 】 Old Days | コメント(8) | トラックバック(0) |