title:オヤジからのキラーパス

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Feeded by morning star
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駅で妻の迎えを待っているときに、よその旦那様が奥様の運転する車の後部座席に当然のように乗り込んでいく姿を見た。俺はといえば、妻に迎えに来てもらう際には助手席に座るが常なので、その光景に少し違和感を感じた。

「面と向かって話をする」という言葉がわざわざあるくらいだから、向かい合って相手の眼を見ながら話をするというのは、少なからず心理的負担を覚える環境なのだろう。正面を外した、斜めとか横といった位置関係のほうが、話をする心理環境としては気が楽なのは確かだ。これが前後となると、話をするにはかなり特殊な状況と言っていい。

前後の位置関係で会話をするといえば、タクシーの中が思い浮かぶ。前を向いたまま会話をするドライバーとその背中に向かって話かける乗客。普段の生活ではあまり見かけることのできない不思議な会話環境である。この場合、乗客は相手を後ろから観察しながら話せる。運転手は小さなリアミラーを通してしか相手の様子を窺い知ることはできない。どちらかと言えば、乗客の方が心理的なイニシアチブを握っている状態である。もちろん、そんな位置関係に関係なく会話の主導権を握り続けるうるさいドライバーもいないではなが、基本的に後部座席が主、運転席が従という心理関係にあると言っていいだろう。後部座席に乗り込んだ旦那様と運転する奥様の関係もそうなのであろうか。

いつも呑みに行く横丁の店にはL字型の小さなカウンターがあるのみである。当然、客同士の位置関係は横、もしくは斜め前ということになる。これがこじんまりとした空間とあいまって会話を活性化させているのかもしれない。気楽に話をするのに、ちょうどいい位置関係、ちょうどいい距離がそこにある。もし、あの店の席がある方向にむいて客同士がずらりと前後に並ぶような環境だったら、果たしてそこではどんな会話が展開されるのだろう。普段、一人だけ客の方を向いているママがどう感じているのかも気になるところである。



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Feeded by morning star
【2007/02/23 14:39 】 Diary | コメント(10) | トラックバック(0) |

この週末、久々に休日出勤をした。ちょっとしたトラブルもあり、休日出勤の割には遅い帰宅となったが、帰りの電車では運良く座ることができた。

とある駅で乗り込んでくる乗客の中に70歳前後と思われる女性の姿を見つけた。俺は反射的に腰を浮かし、席を譲ろうとした。俺の動きを察知した女性は微笑みを浮かべながら小さく頷いてみせた。「結構ですよ」。上品な眼差しがそう語っていた。精神的に少々疲れを覚えていた俺は、不覚にも再びシートに腰を沈めてしまった。

ゆっくりと電車が動き始める。やはり、どこか心が咎める。俺は彼女に「お座りになりませんか」と話しかけてみた。「ご親切にどうも。大丈夫ですよ」と彼女。こうしたやり取りがありながら無理に席を譲るのも、あまりに相手を年寄り扱いしているようで失礼な気がした。俺は仕方なく再び本のページに眼を落とした。

次の駅に電車が停車し、近くの席が空いた。中年女性と先ほどの女性がほぼ同時にその空席に歩み寄る。中年女性が「どうぞ」と空いている席を促した。今度は彼女も断らなかった。「ありがとうございます」と言って、その申し出を受け入れた。やはり座りたかったのである。そして俺のやり方は、相手に遠慮させることなく受け入れてもらえるような洗練されたものではなかった。

どうして最初に眼が合ったときに、スパッと立って席を譲らなかったのか。一度躊躇しておきながら、改めて申し出たのも時機を逸した行為であった。レディーをスマートに扱うのはなかなか難しい。俺もまだまだ青二才だなと思い知らされた夜だった。



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【2007/02/20 18:41 】 Woman | コメント(12) | トラックバック(0) |

昨夜は、珍しく帰りの電車で座ることができた。目の前では男性とOL風の女性が話をしていた。上司とその部下と思われる。男性は50代後半か。善人を絵に描いたような柔和な顔をしている。絶対に悪い人ではない。女性との会話や態度に、そう思わせるものがあった。対する女性は30歳前後か。これまた物腰の柔らかい、優しそうな、そして真面目そうな女性である。きっと職場でも、このおじさんを大いに助けているに違いない。

話の内容はよく聞き取れなかったが、2人の醸し出している雰囲気には、単なる上司とその部下という関係をほんの少しだけ越えているものが感じ取れた。あえて言うなら、おじさんの中には彼女に対する好意があるようであった。頼りになる部下に寄せる好感以上の好意が。表情や仕草から彼女に寄せる想いがポロポロとこぼれ落ちている。分かりやすいおじさんである。

対する、彼女。こちらもまた、できた部下のようである。時折彼から発せられる好意を優しく受け止めて、拒絶することも、許容することもなく、ふんわりと包み込む。それ故に、彼の想いがそれ以上不必要に膨れ上がることもない。はぐらかすわけでもなく、思わせぶりな態度をとるわけでもなく、それでいて、おじさんには十分なだけの満足感を与えるような誠実な対応は見事というしかない。

多分、この2人が男と女の関係になることはないのだろう。彼の善良さと彼女の聡明さが、2人をそこから遠ざけているように思えた。それでもおじさんにとっては、電車の中でのひとときは幸福な時間であったに違いない。「念のために、携帯を鳴らしてくれるかな」。「はい。分かりました。後でお電話します」。そんな会話を残して、2人は電車を降りて行った。




Feeded by morning star
【2007/02/14 17:24 】 Woman | コメント(14) | トラックバック(0) |

昨日は、電車の中で小さな受験生をたくさん見かけた。多くの私立中学の入学試験日に当たっていたようだ。幼い頃から塾に通い、一生懸命勉強してきたその成果が試される日である。友達や家族と過ごす大切な時間を犠牲にしてまでやることか、という思いもないではないが、価値観は人それぞれである。みんな合格するといいのになと思いながら、その姿を眺めた。

俺の場合、高校も、大学も、特別な努力をせずとも入れる、自分のオツム相応の学校に進んだ。一生懸命、受験勉強をしたという経験もない。それは、学校で行われる普通の定期試験でも同様だった。

そもそも試験というものは、普段の授業を通してどのくらいの習熟度に達しているかを見るものであって、試験に向けて特別に勉強をするのはどこか違うのではないかという思いが俺の中にあった。本気で、「卑怯だ」とすら思っていた。ま、試験で俺の何が分かるかという、あの年代特有の青臭い考えも意識の底辺にあったのだろう。そんな調子だったから、もちろん学校の成績は余り芳しくなかったし、入学できた学校もいわゆる一流校と呼ばれるところではなかった。

高校時代、あまりに勉強しない俺をつかまえて父親が言ったことがある。「お前が本気になって勉強すれば、東大にだって入れるはずだ」。これまた、随分と大きく出たものである。冗談にもほどがあろう。それとも真正の親バカか?で、その根拠を問うと、彼は「俺の息子だから」とのたまった。単なるバカ親であった…。





Feeded by morning star
【2007/02/02 17:07 】 Old Days | コメント(8) | トラックバック(0) |

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