title:オヤジからのキラーパス

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今朝起きると、頭が痛かった。ここしばらく二日酔いなどしたことがないし、そもそも前日にそれほど酒を呑んだ記憶もない。おかしいなぁ…と思いつつ起き上がってみると、頭痛ではなく、どうやら眼球からくる痛みのようだった。初めて経験する痛みである。しかも、かなり痛い。痛みのある左眼は充血して真っ赤になっている。

仕方がないので午前中の仕事を休み、病院へ行ってきた。診察の結果は、眼球の炎症とのこと。明るいところで瞳孔が開いたり、何かを見ようと思って眼球が動いたりすると、それが炎症部分を刺激し、痛みの原因となるらしい。これが、やたらとやっかいなのである。何しろ、道を歩いていて真っ白な横断歩道の線を見るだけでも、眼球が疼く。何気なく何かを見やると、とたんにズキンと響く。

結局、3種類の点眼薬を使用しながら、しばらく経過観察ということになった。点眼薬のひとつは、眼底検査のときに瞳孔を開くために用いられたものと一緒で、どうやら麻酔のような役目があるらしい。これで瞳孔の開閉を抑えたり、眼球を動かす筋肉を鈍らせることによって、炎症部分への刺激を減らすためのもののようだ。あとの二つは消炎剤と思われる。

というわけで、今は光がとても怖い。何かを思わず眼で追ってしまうのも怖い。怖いし、痛いし、不自由なことこの上ない。ゲゲゲの鬼太郎の目玉オヤジなら、とても生きてはいけまい。

考えてみれば、これまであまりカラダのことを思いやることはなかった。なかでもいちばん酷使してきたのは、眼かもしれない。そろそろ眼にもいたわりが必要だ。世の中の女性の皆様、どうか俺にたくさんの眼の保養を…。

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【2006/11/30 14:35 】 Diary | コメント(12) | トラックバック(0) |

何しろ父親の転勤の関係で5つもの小学校に通ったので、小学校時代をほとんど「転校生」として送ってきたような気がする。新しい学校に馴染み、そろそろ「転校生」の肩書きも取れるかというころにまた転校、というようなことを繰り返してきた。

転校生としてどこの学校でも経験したのが、ガキ大将からの洗礼であった。俺が転校を繰り返していた高度成長期には、新学期になるたびに転校生がクラスに3、4人はやってきた。にもかかわらず、ガキ大将は、他のやつではなく、俺のところにやってくるのであった。それもよそのクラスからわざわざである。「今度、○○から転校してきた○○というのは、お前か」。俺にしてみれば、「またかよ…」という感じである。ガキ大将曰く「お前はカッコつけている」「生意気だ」「偉そうにしている」。初対面であるのにもかかわらず、決まってそんな言いがかりをつけられる。ここでひるんだり、卑屈になると、その後の新学校生活は悲惨なものになる。弱虫のレッテルを貼られ、その汚名は次に転校するまでそそがれることはない。決して下手に出てはいけない。

が、当然その代償はある。ま、大抵の場合、ガキ大将の喧嘩の相手をさせられる破目になる。大勢が見守る中で、新参者である転校生にガキ大将としての威厳が通用しないというのは、仲間を牛耳っている身にしてみれば相当都合の悪いことなのだろう。その体面を保つためにも、転校生を懲らしめるのである。こっちにしてみればいい迷惑である。

決まって、ガキ大将はカラダがでかい。で、ほぼ間違いなく勉強ができない。しかも、勉強ができない分、でかいカラダにものを言わせて力を誇示しようとするから性質が悪い。か弱き美少年の俺が彼に太刀打ちできるわけもない。ほとんどの場合、一気に組み敷かれ形勢不利な状態に陥るのであった。肝要なのはこれからだった。どんなに形勢不利でも、決して抵抗をやめないこと。相手の10発に対して2、3発の割合でもいいから、とにかく殴り返し続けること。これで、ほとんどの場合、しばらくすると向こうから「この辺にしておいてやる」と言い出し、釈放されるのが常であった。

今の陰湿ないじめと違うのはそれからである。大抵の場合、ガキ大将が俺を狙うことは二度となかった。むしろ、その後友達になって、悪ガキ仲間として一緒にたくさんの悪事を重ねたりもしていた。

喧嘩には、勝てなくても負けないという手もある。転校を繰り返して身につけたことといえば、そのくらいのことか。転校すればそれだけたくさん友達ができて楽しそうだという人もいるが、それと同じ数だけの別れもあった。転校はしたくなかったというのが本音だ。



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【2006/11/27 17:32 】 Old Days | コメント(6) | トラックバック(0) |

世の中には、実にさまざまなコレクターが存在するようである。我々の世代だと、切手や古銭、ペナント、絵葉書などを集めたことがある人も多いのではなかろうか。俺も一時期切手を集めていたこともあったが、所詮子供の小遣いで集めたものである。とてもコレクションと呼べるような代物ではなかった。だが、そんな俺にも近所の悪餓鬼相手に威張れる程度のコレクションならあった。それは、メンコであり、ビー玉であった。とりわけメンコには思い出深いものがある。

当時俺が住んでいた代田橋のあたりには伝説のメンコが存在していた。それは月光仮面の絵が描かれたもので、幾度もの勝負を重ねるうちに不敗のメンコとして近所の子供たちの中で神聖視されていたメンコだった。当時、我々のメンコのルールというのは、勝負をして、勝った方が負けた方のメンコを巻き上げるというものであった。手っ取り早くメンコの枚数を増やしたいときには、ひと勝負5枚ずつをかけて勝負をするというようなこともやっていた。メンコをある種の貨幣として流通させていたわけである。そして、紙幣がその額面によって価値が違うように、人気の絵柄のものや強いと言われているメンコには、1枚で5枚分、あるいは10枚分といった価値がつけられていた。そして、伝説のメンコには何と100枚分という価値がついていた。

俺は毎日のように近所の悪餓鬼相手にメンコの勝負を重ね、せっせとメンコを貯めていった。そして「賭け金」となるメンコが十分に集まったときに、伝説のメンコの持ち主に勝負を挑み、見事これを手にしたのであった。それからしばらくの間、俺は伝説のメンコ所有者としてこれ以上ない満足感に浸っていた。もちろん、所有するメンコが100枚を超える、挑戦有資格者は何人かいた。しかし、だからといってそれを賭け金に勝負を挑んでくる奴は意外に少なかった。やはり100枚は「大金」である。

ところがある日のこと。なんと隣町から挑戦者が現れたのである。伝説のメンコはわが町に棲息する悪餓鬼の間で行き来していたメンコである。それが、負けるとなると、隣町へ流出してしまうことになるのだ。勝負の場には、双方の町の悪餓鬼たちがそれぞれの応援団として集まってきた。大勢のギャラリーが見守る中、勝負が始まる。相手のメンコもかなり強い。なかなか返らない。俺は月光仮面のメンコを何度もアスファルトに打ち付けた。そして、長い勝負の末についに勝利を収めることができたのであった。

普段はお互いにメンコの取り合いをしているわが町の悪餓鬼どもも、素直に俺の勝利を祝ってくれた。いや、単に伝説のメンコの流出を阻止できたことを喜んでいただけかもしれない。俺が勝負で得た100枚のメンコは、その場にいたみんなで分けた。何故か分からないが、そんな気分だった。

それからしばらくして、親父の福岡への転勤が決まった。それまでに集めたメンコやビー玉ともお別れしなければいけなかった。というのも、俺は母親に賭けメンコ&ビー玉を禁止されていたからである。俺は巻き上げたそれらのものを家に持ち帰っていなかった。つまり、そんな大量のメンコやビー玉は持っていないことになっていたのである。俺は毎日の戦利品を藤島君という友人に預ってもらっていた。大量のメンコ&ビー玉を引越しの荷物に紛れ込ますことはできない。俺はそのすべてを藤島君に譲ることにした。あんなに必死になって集めたのに、何故かそのときは惜しいとは思わなかった。全部やるといったら、とにかく全部という気分だった。今にしてみれば、せめてあの月光仮面のメンコだけでも取って置けばよかったと思わないでもない。



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【2006/11/22 14:13 】 Old Days | コメント(10) | トラックバック(0) |

カリ~ン。ジュボッ!ZIPPOのフタを開け、火を点けるときの、この感触と音がたまらなく好きだ。しかし、この感触と音ともここのところしばらくご無沙汰である。もちろん、煙草をやめたからではない。

初めてZIPPOを手にしたのは、かれこれ30年以上も前のことになる。以来、いったいいくつのZIPPOと付き合ってきただろうか。そして、いったい何個のZIPPOを紛失してきたことか。その数は10は下るまい。下手すると20を超えているかもしれない。短いものではほんの数日、数週間しか手もとになかったものもたくさんある。昔は酔っ払うとすぐなくしてしまったものだ。その中にあって、最近まで持っていた2つのZIPPOとは例外的に長く付き合ってきた。

ひとつはアラベスク模様が彫られ、それに金メッキを施したもの。こいつとはかれこれ20年近くの付き合いになる。留め金部分がゆるんだりして、2度ほど修理にも出した。長年の酷使で金メッキがはがれ、もとのきれいな金色とは程遠い、黒くくすんだ色合いになっても愛用し続けてきた。ところが、これが今夏ごろから見当たらない。

もうひとつは、プレーンなZIPPOに薄衣を纏った女性の上半身が彫られたもの。この絵がなかなか凝っていて、さかさまにしてフタを開けるとちょっとエロティークな絵柄に見えるという工夫がされている。もともとこの絵柄は、ベトナム戦争時、軍から支給されたZIPPOにある米兵がナイフの先などで彫ったものらしい。若い兵士が、女性に飢え、焦がれ、戦地での手慰みに彫り込んだものと思われる。俺が持っているものは、それを復刻したものだ。このZIPPOも金メッキのものと併用しながらやはり20年近く使ってきた愛着のあるものだが、フリントロックをこするホイールが磨り減って、火花が飛びにくくなったために、先日修理に出した。ホイールが磨耗するまでとは、我ながらよく使い込んできたものである。

というわけで、今、俺の手もとにはZIPPOがひとつもない。仕方がないので、今は使い捨てライターで火を点けている。しかし、これが実に味気ない。煙草の味そのものまでが変わってしまうような気がする。修理に出した女性像ZIPPOには、1日も早く戻ってきてもらいたい。そして、再び自分の手にできたら、最後の1つとなってしまったこいつだけは絶対になくすまいと思っている。



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【2006/11/21 17:05 】 Diary | コメント(14) | トラックバック(0) |

最近、家人が夜のお仕事に出かけるようになった。もちろん毎日というわけではない。週に1、2回、それも不定期にである。その日は、例の「いい女」のところに顔を出すこともできず、本宅へ帰宅ということになる。子供の食事は用意してあるのだが、何分にも夜のことゆえ、「都合のつく日は早く帰ってきて欲しい」とのご要望があったからだ。

ま、夜のお仕事といっても、ごく普通のパートである(笑)。今までは、午前中から午後早めの時間にかけての勤務時間だったのだが、人員が2.5人減ったため、それに対応するために夕方の勤務も不定期に頼まれることになったらしい。そもそも、勤務時間帯が子供の生活に影響が少ないということで選んだ仕事なのに、これでは何の意味もない。それに、人員が「2.5」人減ったというのもよく分からん。減ったなら、増やせとも言いたい。

以来、夕方に家人の仕事が入った日にはなるべく早く家路に着くことにしているのだが、家人曰く「けっこう都合がつくものなのね…」。あ…、はい。これがいちばん痛い。



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【2006/11/20 17:28 】 Diary | コメント(12) | トラックバック(0) |

長く生きてきたので、過去にも、そこに身を置くだけで気軽に安心して呑める、あるいは食事ができる、いわゆる「隠れ家」とか「アジト」と呼べる存在の店がいくつかあった。しかし中には、長い年月を経てなくなってしまったり、よそへ移転してしまった店も少なくない。客層が変わったり、俺自身が歳を重ねたことによって、もはやそうした存在とは言えなくなってしまった店もある。

気の置けない居心地のいい店とは、いい女に似ているかもしれない。まず、めった出会えるものではない。その佇まいは、親しみやすさの中にも端正な気品を失わない。場に応じた気の利いた会話が楽しめる。何よりも、一度惚れてしまうと毎日でも会いたくなる。そして、会えばいつも癒される。最近では渋谷の横丁にある、とある店がそれにあたる。

はたして、これから先、俺はいくつの「隠れ家」を見つけるのだろうか。もちろん、これからもいろんな店との出会いがあるだろう。しかし、今の店のような、すべてがしっくりとくる存在は得がたい。単なる相性を超えた何かがあるのかもしれない。これが、おそらく俺にとって最後の「女」になるのではないかという気がしている。



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【2006/11/17 09:21 】 Drinking | コメント(10) | トラックバック(0) |

昔から、甘いものが苦手である。いくら何でも、子供の時分には甘いお菓子も好きであったろうと思うのだが、その割にはそういうものを好んで口にした記憶があまりない。思い出すものといえば、駄菓子屋で食べたカレー味のあられや醤油煎餅といった類いのものである。酒を嗜むようになってからは、ますますその傾向が強くなった。酒呑みの中には、甘いものをつまみに酒を呑むという猛者もいるようだが、俺には到底真似できない。

時々、会社のデスクの上にお菓子が乗っていることがある。出張や旅行に行った社員からのお土産のことが多い。時には、関係者からの差し入れのこともある。その心遣いは大変ありがたいのだが、俺はこれをけっこう持て余してしまう。たかだかドラ焼き1個が、重く心にのしかかることもある。かといって、せっかくいただいたものを何日も机の上に放置しておくわけにもいかない。いくら無神経な俺でも、さすがに失礼に当たると思う。何とかありがたくいただくよう努力はしているのだが、それでも時には食べられずに家へ持ち帰り、家族の胃袋に収めてもらうということもある。

俺の朝は、出社してまず氷をたっぷり入れたグラスに熱い緑茶を注ぐことから始まる。しばらくして冷えた緑茶をいただきながらパソコンを立ち上げ、メールをチェックする。これが、ここ数か月間続けてきた朝の儀式であった。が、冷たい緑茶というのも、そろそろ季節外れの感がある。今朝は、冷茶に代えて、久々にコーヒーにしてみることにした。

熱いコーヒーをひと口すすったとき、子供たちのために持ち帰ろうとして机の中に仕舞い込んだままにしておいた、いただきもののクッキーがあったのを思い出した。いつごろ、どういう経緯でいただいたものかは、記憶も定かではない。多分、撮影商品の余りか何かではなかろうか。俺はほんの気まぐれで、そのクッキーの封を切り、コーヒーとともに口にしてみた。

うん。なるほどね…、悪くはない。というか、旨いよ。甘さがそれほど立ってなく、サクッとした食感で、くどくない。あと口のいい、素朴な味わい。これが、熱いコーヒーとよく合う。朝一番の、まだ誰もいないオフィスで、クッキーをふたつほどつまみながら、仕事に取り掛かる前に片付けておくべきいくつかの雑用をやっつける。朝からクッキーとは、いささか俺には似合わないような気がしないでもないが、これはなかなかいい感じである。

というわけで、我が息子よ、娘よ。本来はキミたちのために持ち帰ろうと思っていたクッキーだが、これはお父さんがいただくこととする。悪く思うな。



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【2006/11/14 17:36 】 Foods | コメント(13) | トラックバック(0) |

もうすぐサンタクロースの季節である。8歳になる娘は、すでにクリスマスのプレゼントを考えているらしい。聞くところによると、サンタクロースからはハムスターを飼うゲージを、親からは生体のハムスターをプレゼントしてもらう心積もりだという。あのね、それって実は両方とも親の負担なんだけどねぇ…。

我が家ではクリスマスや誕生日以外にも、特別にプレゼントがもらえる日がある。それは乳歯が抜けたときである。抜けた乳歯を枕の下に置いておくと、妖精さんが欲しいものと取り替えてくれるというものだ。そして妖精さんは、新しく生まれてくる子のためにその歯を届けるということになっている。ま、プレゼントと言っても、ゲームのカードやおもちゃのアクセサリーといった、ちょっとした小物に過ぎない。歯が生え変わるという、子供のささやかな成長を祝うつもりで始めてみた。

さすがに長男は、口こそしないが、そんなことはないということにも気づいているようである。そもそも彼の場合は、すでにすべての乳歯が抜けてしまっているので、いまさらお願いのしようもない。しかし、娘は未だにこの話を信じきっている。

土曜日の夜、突然娘が言い出した。「私、バスケットボールが欲しいから、歯の妖精さんにお願いしてみる!」。おいおい、突然何を言い出すかと思ったら、これだ。そんなもの明日の朝までに用意できるわけないじゃないか。しかも、急にプレゼントの単価が上がっているし…。そもそも、最近娘の歯が抜けたなんて聞いていないぞ。と、思ったら、なんと、何かが欲しくなったときのために、今までに抜けた歯をストックしてあると言う。まいった…! 結局は、バスケットボールは歯の妖精さんには重すぎて運べないということを説明して、翌日それを買ってあげるということでお引き取り願った。

それにしても、我が娘ながら実にしたたかなオンナである。



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【2006/11/13 17:42 】 Kids & Kids' Football | コメント(8) | トラックバック(0) |

今週発売の『週刊朝日』をパラパラとめくっていたら、眼を奪われる記事がひとつ飛び込んできた。それは村上春樹氏に関する記事の中にあった。ご存じのように村上氏は翻訳家としても知られる。2003年にサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)』を新訳したのは記憶に新しい。今度はそれに加えて、『グレート・ギャツビー』の新訳版を11月10日に出すというのだ。作者はヘミングウェイと並んでロスト・ジェネレーションを代表する作家と称されるS・フィッツジェラルド。彼の手によるこの作品は、その昔、ロバート・レッドフォードが主演した映画『華麗なるギャツビー』の原作としても知られている。

が、驚きは何とこれだけではなかった。昨日のブログでその一説を紹介した『長いお別れ(ロング・グッドバイ)』の新訳も来春出版される予定だというのだ。俺にとってこの作品ほど何回も読んだ本は数少ない。高校時代に初めて読んでから、かれこれ10数回は読み返しているはずだ。それだけにお気に入りのフレーズも少なくない。昨日紹介したのもそうした中のひとつだった。

俺にとって長い間、『長いお別れ』といえば、ぼろぼろに朽ちたハヤカワ・ミステリ文庫の清水俊二訳以外にありえなかった。俺が慣れ親しんできた『長いお別れ』が、村上訳によってどのような趣きの作品に変わるのか。あの名台詞「ギムレットにはまだ早すぎるね」は、はたしてどのように訳されるのか。とても興味深い。



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【2006/11/07 17:21 】 Books | コメント(8) | トラックバック(0) |

「ぼくは店をあけたばかりのバーが好きなんだ。店の中の空気がまだきれいで、冷たくて、何もかもぴかぴかに光っていて、バーテンが鏡に向かって、ネクタイが曲がっていないか、髪が乱れていないかを確かめている。酒のびんがきれいにならび、グラスが美しく光って、客を待っているバーテンがその晩最初の一杯をふって、きれいなマットの上におき、折りたたんだ小さなナプキンをそえる。それをゆっくり味わう。静かなバーでの最初の静かな一杯──こんなすばらしいものはないぜ」

これは、レイモンド・チャンドラー著の『長いお別れ』の中に出てくる一節である。この小説はチャンドラーの最高傑作といっていい作品で、「ギムレットには早すぎるね」という名台詞があまりにも有名だが、俺はこの件(くだり)もたいそう気に入っている。友人テリー・レノックスが言ったこの言葉の後に、主人公フィリップ・マーロウの思いとして「私は彼に賛成した」と続くのだが、もちろん俺も彼に賛成である。

開店直後の、それもまっとうな呑み屋だけが醸すことのできる、清冽さに満たされた時間。口開けのあのすがすがしさは、何もオーセンティックなバーに限ったことではあるまい。小さな呑み屋の小さなカウンターがきれいに磨かれていて、澄んだ空気の中で椅子がきちんと揃えられ、端正な佇まいで客を待っている。そのうちのひとつを引いて腰を掛けると、ママから熱いおしぼりが手渡される。箸置きと箸が揃えられ、コースターが用意される。最初の一杯の最初のひと口が喉を滑り落ちるころに合わせて、その日のお通しが出てくる。新しい夜が、ゆっくりとはじまっていく不思議な時間。

先発ピッチャーが誰にも荒らされていないマウンドに上がるときのように。そして、フットボーラーがきれいに刈り込まれたピッチに足を踏み入れるときのように。酒呑み人もまた、まだ誰も手にも染まっていない、まっさらな雰囲気に酔う。やがて、客が1人、2人と増え、いつしかその空間は、心地よい喧騒と紫煙で満たされていくことになる。いい店は、そこでもまた酒呑み人を酔わせる。



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【2006/11/06 18:30 】 Drinking | コメント(10) | トラックバック(0) |

昨日までと違って、今日の関東地方は少し肌寒い。すでに11月なのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、今年の秋は例外的に比較的暖かい日が続いていた。どうやら、大陸性高気圧の勢力が弱いということが関係しているらしい。

その弱っちい高気圧のおかげで、昨日まではほとんどTシャツ姿で過ごすことができた。それを見て「季節を感じる感性が麻痺してるんじゃないの」と、ありがたいお褒めの言葉を掛けてくださる御仁もいらっしゃったが、何と言われようと、これまでのTシャツで過ごせた日々は実に快適なものだった。しかし、さすがにこれからはそういうわけにもいかないのだろう。

これからしばらくTシャツが着られないのかと思うと、少々寂しい気がする。もちろん例年ならば、今頃はとっくにTシャツとおさらばしている時期である。まだ着ていたいと思うのは、際限なくエスカレートする子供の欲望に似たものがある。ここはおとなしく我慢するのが、大人の態度だろう。

しかし、明日から何を着るか、こちらは切実な問題だ。もちろん、服が多くて選ぶのに困るというわけではない。着る服がないから困るのだ。5月から約半年間。俺のようにおしゃれから縁遠い人間にとっては、Tシャツ1枚で過ごせる気候はつくづくありがたいものだった。




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【2006/11/02 19:35 】 Diary | コメント(16) | トラックバック(0) |

実を言うと、俺は高いところが苦手だ。いわゆる、高所恐怖症と言ってもいいかもしれない。身近なところでは、ガラス張りのエレベーターが苦痛だ。あれは、落下を疑似体験させる趣味の悪い装置に過ぎない。わざわざガラス張りとは、余計なお世話である。高層ビルや展望台もあまり好きではない。遠景を眺めている分にはなんとかなるのだが、窓際から下を見ることはできない。高架電線の工事員やトビ職などが高所で作業をしている姿もいけない。やめておけばいいのに、つい自分をその人物に置き換えてしまう。

思い返してみると、幼かった頃には高いところを特別に怖いと思ったことはなかった。小学校の校庭にあった登り棒でもよく遊んでいた。高さに対する耐性は、人並みだったのではないかと思う。それがある日のこと、どこかの屋上で「ここから飛び降りたらどうなるのだろう」とふと考えた瞬間から、高いところが怖くなってしまった。正確に言うと、「そんな好奇心に駆られて、俺は本当にここから飛び降りてしまうのではないだろうか」という思いが、俺を震え上がらせた。そもそもは、そんなことをしてしまいそうな自分が怖かったのだが、それはやがて高さそのものへの恐怖となっていった。

そんな俺だが、2,3年前、ふとしたきっかけで、地方でオンエアされるCMに消防士役で出ることになった。ホースから水が勢いよく飛び出し、その反動で宙に舞い上がるという役だった。実際の撮影では、消防服の下に着用したコルセットに仕込まれたワイヤーで宙に吊り上げられた。リハーサル中、ふと周りを見やると俺は近くにあった信号機より高い位置まで吊り上げられていた。高所恐怖症の俺にとっては十分すぎるほどの高さだ。結局その日、俺はリハーサルを含め30数回も宙に吊り上げられ、ようやく撮影を終えることができた。

撮影では、テイクを重ねるに連れ、監督から要求される演技も複雑でニュアンスのあるものになっていった。うまくこなせなくてNGになれば、カメラクルーや音声さん、照明さん、大道具さん、エキストラなど総勢数十人もやり直しとなる。撮影中は、とにかく次々に追加される演技を忠実にこなすことで精一杯。それが俺を恐怖から遠ざけたのだろう。高さを怖がる余裕すらなかった。

しかし、この撮影を経験したからといって、高所恐怖症を克服できたわけではない。今でもやはり高いところは怖い。ただ、このときは目の前の現実といやおうなく対峙せざるを得ない状況に置かれていた。そこに、恐怖は存在しなかった。きっと、多くの場合、恐怖とは想像力の産物に過ぎないのだろう。




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【2006/11/01 17:36 】 Diary | コメント(14) | トラックバック(0) |

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