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title:オヤジからのキラーパス

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Feeded by morning star
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今、俺は渋谷のとある横丁の店に足繁く通っている。そういえば、遠い昔、大学時代にも頻繁に通っていた行きつけの店があったのをふと思い出した。それは西荻窪にあった何の変哲もない焼鳥屋だった。

西荻窪界隈には、駅周辺という狭い範囲でチェーン展開をしている、そこそこ名の知れた焼鳥屋がある。俺が住んでいた頃は2軒あったが今はもう少し増えたとも聞く。何しろどの店も狭いので、あふれた客を収容するために2店、3店と増えていったのだと推測される。別に焼鳥が旨くて有名という、そういう類いの店ではない。安く酒が呑める貧乏人のパラダイスとして知られるような店だ。だが、俺がその頃通っていた行きつけの店とは、実はこの店ではない。もちろん、西荻窪に住み始めた当初はその店によく通ったのだが、ほどなく出入禁止となってしまったのだ。他の客と喧嘩して店の人に「二度と来るな!」とたたき出されたのである。もちろん、喧嘩したのは俺ではない。俺の連れの方である。

それ以来、行くところを失った俺は違う焼鳥屋に通うこととなった。それは同じ焼鳥屋でも、先の繁盛店とはまったく違って、朴訥そうな親爺が1人で黙々と焼鳥を焼いているような、寂れた店だった。あまり客も来ず、焼鳥屋だというのに1人文庫本を読んでいても、誰からも訝しがられたり、咎められたりすることがないくらい、のんびりとした店だった。そこには、夕方早くからたくさんの客で賑わう繁盛焼鳥屋の喧騒はない。その店で俺は本を読み、やがて脳がアルコールに浸り、行が進みにくくなったころにお勘定をしてもらい、下宿に帰るのがほとんど日課となっていった。

そのうちに口数の少ない親爺とも少しずつ話をするようになった。客が俺1人というときでも、親爺と話をしながら退屈することなく酒を呑めるようになった。親爺は新潟県の出身で、もとは板前をしていたという。ある日、二人きりになったとき、親爺が包丁を見せてくれた。それは彼が板前時代に使っていたものだった。新聞紙で幾重にも包まれた包丁はどれも見事に研ぎ上げられていた。何となくそれが彼の人柄を物語っているように思えた。包丁一本一本の呼び方と何を切るときに使うのかを教えてもらったのだが、今ではすっかり忘れてしまった。

たまに何日間か店が閉まっている時、親爺は決まって故郷へ渓流釣りに出かけていた。そして、その釣果を持ち帰っては「これはサービスだから」と言って、焼いて食べさせてくれた。親爺の故郷の味は、しみじみと旨かった。持ち合わせの金がなくて店の前を素通りしようとすると、親爺に呼び止められて、ただ酒と焼鳥を振舞われたことも何回かあった。

やがて、俺は大学を卒業して西荻窪の街を離れた。その後、2,3度その店を訪れて親爺との再会を果たしたが、そのうちに自然と疎遠になってしまった。今でもあの店はあるのだろうか。親爺は健在なのだろうか。あの頃は、若かった。いつも金がなかった。大学にもほとんど顔を出さず、何の目的もなくダラダラと生きていた。なのに、意地汚く酒だけは呑み続けていた。あの頃の俺はどうしようもないただのガキだった。それは、今でもあまり変わっていないのかもしれない。

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【2006/10/24 17:08 】 Old Days | コメント(10) | トラックバック(0) |

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