title:オヤジからのキラーパス

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先週末、フットボールの審判資格の更新に行ってきた。会場では、まず、ルールについての講習があり、その後ペーパー試験が行われた。この試験で100点満点中80点以上をとれば、更新資格を得ることとなる。試験そのものは特別に難しいもではなく、難なくクリアできた。とはいえ、一夜漬けならぬ、行きの電車漬けをやっていなかったら、怪しかった問題もいくつかあった。

フットボールのルール自体は決して難しくはない。むしろ、他のスポーツと比べるとかなり単純だといっていいかもしれない。しかし、実際に試合で審判を担当すると、ありえないようなプレーに遭遇し、頭を悩まされることとなる。特に小学校低学年の試合では、こうした珍事態がたびたび起こる。審判としては、正確にルールを把握した上で、そのひとつひとつに適切に対処しなければならないのだが、これがけっこう難しい。

ここで皆さんに、フットボールのルールに関する問題をいくつか出してみよう。いずれも小学校低学年の試合では起こりうることであり、実際にこのうちのいくつかは俺が遭遇したケースでもある。果たしてこんなとき、あなたが審判ならどう処理するであろう…。

Q1.守備側選手がゴールキックを行ったがキックをミスし、折からの強風にあおられ自陣ゴールにボールが入ってしまった。
ア.攻撃側チームのコーナーキックでゲームを再開する。
イ.攻撃側チームの得点とし、キックオフで試合を再開する。

Q2.守備側選手がゴールキックを行ったがキックをミスし、ペナルティーエリア内を転々とするボールを攻撃側選手がシュートしてゴールに入れた。
ア.ゴールキックのやり直しで試合を再開する。
イ.ゴールを認め、キックオフで試合を再開する。

Q3.味方の選手同士がボールとは関係のないところで喧嘩を始めた。
ア.喧嘩の行為の程度により、2人の競技者を警告するか退場させる。喧嘩をしていた地点から相手チームの間接フリーキックでプレーを再開する。
イ.2人に注意を与え、試合を止めたときにボールがあった地点でのドロップボールにより試合を再開する。

Q4.隣のグラウンドで行われている試合の笛が聞こえ、自陣のペナルティーエリア内にいる守備側選手が、プレーが停止されたと思い、手でボールを拾い上げた。
ア.試合を停止してドロップボールにより再開する。
イ.攻撃側チームのペナルティーキックで試合を再開する。

Q5.ゴールに入りそうなボールにゴールキーパー以外の守備側選手が手を出したが、ボールはそれをはじいてゴールインした。
ア.ゴールを認め、手で止めようとした選手に警告を与える。
イ.手で止めようとした選手を退場処分にし、ペナルティーキックで試合を再開する。

いかがであろうか。こういうレアケースに遭遇したときこそ、知識と判断力、処理能力が問われることとなる。それは、実際の社会においても当てはまることかもしれない。


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【2006/10/30 14:42 】 Kids & Kids' Football | コメント(14) | トラックバック(0) |

最近、やらねばならないのに、ほったらかしにしていることがいくつかある。いや、いくつかではなく、ものすごくいっぱいある。まずは、運転免許の書き換え。てっきり誕生日が期限だと思っていてあせっていたのだが、誕生日の前後1ヶ月が書き換え期間と知って、とたんに自分の中で著しく優先順位を下げてしまった。次に、車の定期点検。6ヶ月ごとに無料で定期点検が受けられるサービスに加入しているのにもかかわらず、これもズルズルと後回しにしている。さらには、フットボールの審判手帳への試合記録の記入。今週末にある審判資格更新の際には、規定数以上の試合の審判を担当していないと再度体力試験を受けなければいけないことになっている。その試合数の確認は審判手帳の記録によって行われるのだが、これもまだ記入していない。個人的な理由で延期してもらった健康診断も、再申し込みを済ませていない。そのほかにも、クレジットカードの解約と新規カードの申し込み、古い知人への連絡などなど、個人的なことや仕事のこと、チームのことなど、数え始めたらきりがない。

やらねばいけないのは本人が一番よく分かっているのだが、何しろ用件をあまりにも貯めすぎた。何かひとつ片付けたところでこの状況がさほど改善されるわけではないと思うと、とたんにその気が失せてしまうのだ。そうしているうちにまた新たにやらねばいけないことが増える。どういうわけか、9月の下旬ぐらいから、こういう悪循環に陥っている。その頃からこのブログの更新も滞りがちになっている。

どうしてこんな状態になってしまったのか。そもそもの原因が俺の性格にあるのは分かっている。もともとが、計画的に、早め早めに物事を片付けていくような几帳面な性格ではない。自分では、生来のそうした性格に加え、季節遅れの夏バテが追い討ちをかけているのではないかと自己診断している。暑い夏をどうにか乗り切ったものの、その反動がきているのではないかと。

しかし、意外に思われるかもしれないが、こんな状態にあるというのに俺はまったくあせってはいない。なぜならば、絶対に確実な解決方法を知っているからである。それは…、ひとつひとつ片付けていくこと。だったっら、やれよ!やれよ!とっとと、やれよぉ!と言いたいところである。もちろん、やってやろうじゃないか。さっそく明日からでも、というか…、気持ちの体力が回復したら、いつか(爆)。

しかし、審判手帳への試合記録の記入だけは、そういうわけにもいかない。どうしても土曜日の夕方までにはやっておかなければいけない。さて、まずはこいつからやっつけるか。



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【2006/10/26 17:07 】 Diary | コメント(10) | トラックバック(0) |

今、俺は渋谷のとある横丁の店に足繁く通っている。そういえば、遠い昔、大学時代にも頻繁に通っていた行きつけの店があったのをふと思い出した。それは西荻窪にあった何の変哲もない焼鳥屋だった。

西荻窪界隈には、駅周辺という狭い範囲でチェーン展開をしている、そこそこ名の知れた焼鳥屋がある。俺が住んでいた頃は2軒あったが今はもう少し増えたとも聞く。何しろどの店も狭いので、あふれた客を収容するために2店、3店と増えていったのだと推測される。別に焼鳥が旨くて有名という、そういう類いの店ではない。安く酒が呑める貧乏人のパラダイスとして知られるような店だ。だが、俺がその頃通っていた行きつけの店とは、実はこの店ではない。もちろん、西荻窪に住み始めた当初はその店によく通ったのだが、ほどなく出入禁止となってしまったのだ。他の客と喧嘩して店の人に「二度と来るな!」とたたき出されたのである。もちろん、喧嘩したのは俺ではない。俺の連れの方である。

それ以来、行くところを失った俺は違う焼鳥屋に通うこととなった。それは同じ焼鳥屋でも、先の繁盛店とはまったく違って、朴訥そうな親爺が1人で黙々と焼鳥を焼いているような、寂れた店だった。あまり客も来ず、焼鳥屋だというのに1人文庫本を読んでいても、誰からも訝しがられたり、咎められたりすることがないくらい、のんびりとした店だった。そこには、夕方早くからたくさんの客で賑わう繁盛焼鳥屋の喧騒はない。その店で俺は本を読み、やがて脳がアルコールに浸り、行が進みにくくなったころにお勘定をしてもらい、下宿に帰るのがほとんど日課となっていった。

そのうちに口数の少ない親爺とも少しずつ話をするようになった。客が俺1人というときでも、親爺と話をしながら退屈することなく酒を呑めるようになった。親爺は新潟県の出身で、もとは板前をしていたという。ある日、二人きりになったとき、親爺が包丁を見せてくれた。それは彼が板前時代に使っていたものだった。新聞紙で幾重にも包まれた包丁はどれも見事に研ぎ上げられていた。何となくそれが彼の人柄を物語っているように思えた。包丁一本一本の呼び方と何を切るときに使うのかを教えてもらったのだが、今ではすっかり忘れてしまった。

たまに何日間か店が閉まっている時、親爺は決まって故郷へ渓流釣りに出かけていた。そして、その釣果を持ち帰っては「これはサービスだから」と言って、焼いて食べさせてくれた。親爺の故郷の味は、しみじみと旨かった。持ち合わせの金がなくて店の前を素通りしようとすると、親爺に呼び止められて、ただ酒と焼鳥を振舞われたことも何回かあった。

やがて、俺は大学を卒業して西荻窪の街を離れた。その後、2,3度その店を訪れて親爺との再会を果たしたが、そのうちに自然と疎遠になってしまった。今でもあの店はあるのだろうか。親爺は健在なのだろうか。あの頃は、若かった。いつも金がなかった。大学にもほとんど顔を出さず、何の目的もなくダラダラと生きていた。なのに、意地汚く酒だけは呑み続けていた。あの頃の俺はどうしようもないただのガキだった。それは、今でもあまり変わっていないのかもしれない。



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【2006/10/24 17:08 】 Old Days | コメント(10) | トラックバック(0) |

昨日は、我が少年サッカーチームの練習試合があった。対戦チームは隣町のチームだったのだが、区をまたぐ関係で、これまで大会などで顔を会わせたことはない。うちのチームのお父さんコーチが対戦チームのお父さんコーチと知り合いということで、コーディネイトしてもらった試合だ。

午後から4時間ほどをかけて、6年生2試合、5年生2試合を行ったのだが、結果はなんと全勝!6年生は2試合とも危なげなく勝ち、5年生は拮抗した試合を粘り強い試合運びでものにした。5年生の試合では、息子も決勝点を決めた。5年生にはまだまだ課題も多いけれども、こういう試合をきちんと勝ちきったことは褒めてやりたい。

子供たちの試合の合間にはコーチ同士の試合も行われた。こちらは追いつ追われつの展開で、3-3の引き分けに終わった。結局、この日勝てなかったのはこの試合だけ。ま、こちらは人数が揃わず、相手より1人少ない10人が交代要員もなく出ずっぱりでやったのだから、しようがない結果とも言える。特に後半は体力的にきつかったもんなぁ。俺にも、得点のチャンスがあったのだが、ジャストミートしたシュートは惜しくもポストをかすめていった。あれが入っていれば我がチームの勝ちだったのだが…。何せ、連日の不摂生のため体調が「ちょい不良(ワル)オヤジ」だったのだと言い訳しておこう。



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【2006/10/23 13:14 】 Kids & Kids' Football | コメント(4) | トラックバック(0) |

昨日、日帰りの出張で新潟県村上市に行ってきた。東京駅から新幹線に乗り込むと、お決まりの列車案内のアナウンスが。「この列車は、9時12分発、新潟行き新幹線MAXとき313号。次の停車駅は新潟です」。なんと!直行列車ではないか。新潟までひと駅も止まらないのである。新幹線にこんなダイヤがあるとは知らなかった。寝台列車を除けば、おそらく日本でいちばん遠い距離を結ぶ直行列車ではないだろうか。そんなわけで、俺は東京駅を出てから、新潟で特急に乗り換え、わずか2時間半で村上の地に降り立っていた。

村上と言えば、なんといっても鮭料理である。何でも、江戸時代に世界で初めて鮭の増殖事業を始めたところということで、この地では鮭のありとあらゆる部位を使って、さまざまな料理に仕立てる。その種類は100にも及ぶという。仕事の前にまずは腹ごしらえということで、小奇麗な料理屋でそのいくつかを味わうことにした。いやぁ、さすが。どの料理も旨い。加えて鮭というひとつの素材からつくったとは思えないほど味のバラエティが豊かで飽きさせない。さすが「鮭文化」の街である。

大満足の昼食を終え、仕事に向かった先で、ある人と出会った。その方から村上の歴史や鮭文化について、いろいろと話を伺っているうちに、街を案内してくれるということになり、俺は彼の後に従った。それからしばらく町屋造りの和菓子屋の中や黒塀の通りを案内され、最後に辿り着いたのは、何と彼の自宅であった。歴史を感じさせる趣きのある邸内に招き入れられ、そこでもまた、何種類もの鮭料理でおもてなしを受けることとなった。中でも珍しかったのが、塩引きし熟成させた鮭の身をほぐし、米糀を加え、それにアザミを刻んで混ぜたものを2年間寝かせたという鮨葅(きそ)という発酵食品。これが、また旨い。口に含むと、奥行きの深い複雑な旨みと品のよいほのかな酸味が口腔に広がる。清涼感のある清楚な香りはアザミに由来するものか。村上の鮭文化の奥深さに感嘆させられるとともに、すばらしい文化を有する村上の街を気に入ってもらいたい、好きになってもらいたいという彼の思いがひしひしと伝わってきた。

その後、彼の家を辞し、帰りの列車までの時間を利用して、工芸品店に立ち寄った。あれこれと見ているうちに、駅へと向かう時間になったのだが、今度は何と店主が駅まで車で送ってくれると言うのだ。つくづく村上の人は優しい。人当たりが柔らかく、ホスピタリティに溢れている。実は村上を訪れるのは2回目なのだが、今回の再訪でいっぺんにこの地が気に入ってしまった。「また、村上にお越しくださいね」との見送りの言葉に「必ず来ます」と応えた言葉に微塵も嘘はない。ぜひ、今度は家族を連れて訪れたいものだと思った。

こうして日帰りの出張を終え、東京駅に降り立ったときには20時を回っていた。俺は、土産を片手にいつもの店に立ち寄った。店に入ってみると常連さんに混じって見知らぬ若いカップルの姿が。何でも韓国から旅行でやってきた夫婦だと言う。この旦那の方がやたらと愉快な男で大いに話が盛り上がった。お互いに相手の母国語は理解できないのでとりあえずコミュニケーションは英語でということになったのだが、何と言っても韓国と言えばKonglish(Korean+English)で知られる国。その英語がかな~り怪しい。とはいえ、こちらだってJanglishに過ぎない。その怪しさでは負けてはいない。会話というより、ほとんど単語でコミュニケーションという状態だったのだが、これがまた不思議なぐらい良く通じるのである。多分、彼とあの店の常連さんの波長が合っていたのだと思う。常連さんの一人が自分が注文した料理を「食え」と差し出すと、今度は彼が焼酎のボトルをオーダーして店の客みんなに振舞い酒。それもストレートでコップになみなみと。その合間に、お互いジョークの飛ばしあいで大笑いの連続だった。つくづくとコミュニケーションとは不思議なものだと実感した。同じ日本人同士なのに会話ができない相手っているものなぁ。この夫婦、ソウルで韓国料理店を経営しているという。「ソウルに来た際には、ここにいるみんな、タダで飲み食いさせるから、ぜひ立ち寄ってくれ」と言ってくれた。

それにしても、いろんな人に出会い、たくさんの温かいもてなしを受けた1日だった。少々せわしく、駆け足ではあったが、歓びの多い47歳最後の日だった。




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【2006/10/19 15:02 】 Diary | コメント(9) | トラックバック(0) |

自分で髪を切るようになったため、もうかれこれ10年以上散髪屋に行ったことがない。おかげで今では、自分で髪を切るのを面倒くさいとも思わなくなった。気になったときにいつでもさっさと済ませられるところなど、むしろ手軽だとさえ思える。これが散髪屋に行くとなると、大切な休日の午前中が丸々つぶれるということにもなりかねない。そんな俺でも、時々散髪屋を懐かしく思うことがある。行ってみたいなぁと思うときがある。もちろん、もっとかっこよく髪を切ってもらいたいというわけではない。散髪屋に行ってみたい理由は、髪を切ってもらうこと以外にある。

たとえば、マッサージ。俺が行っていた散髪屋の親爺は、むしろこっちのほうが本職じゃないかと思えるくらいにマッサージがうまかった。とにかく、すこぶる気持ちがいい。しっかりとした重量感のある心地良い刺激に、思わず陶然となる。「最近、けっこう疲れがたまっているんですよね」などと言うと、「そうですか」と言っていつもより長めに、丹念に、首や肩、背中をマッサージしてくれた。それだけですごく得した気分になったものだ。マッサージを入念にやってもらって値段が変わるわけでもない。いや、散髪代をはずむから、しばらくやっていてもらいたいくらいだった。

散髪屋のもうひとつの楽しみは、耳掻きにある。何しろ散髪屋の親爺は、毎日何人もの耳掃除をしてきた、その道のスペシャリストだ。痛くもなく、くすぐったくもなく、そして決して取り残しのないように隅々まで掃除してくれる。うまい。耳掻きによる巧妙な耳への愛撫は官能的ですらある。お姉ちゃんに膝枕をしてもらいながらの耳掻きも行為としては捨てがたいが、やはりその快感と効果は散髪屋に軍配が上がる。

散髪屋の愉悦として忘れてならないのが、髭剃りである。まずは、たっぷりのシャボンを塗られるときのあのブラシの感触がいい。それからあの剃刀の感触。シャリシャリという髯をあたる音ともに、剃刀が肌の上を滑っていく。喉もとや瞼の上、耳たぶ、耳の入口付近までをも剃刀を持った親爺に委ねているというのに、不思議な安心感と心地よさに、うとうとと眠りに誘われることもしばしば。加えて、剃刀が髭や産毛だけでなく、肌の表面の角質をやさしく薄く剥いでいくような爽快感。これは、まさにピーリングだ。髭剃りが終わり、クリームを塗られ、蒸しタオルを当てられる。時間をおいてタオルを取られると、肌が若返っているような気すらした。

最近の安い散髪屋では、髭剃りなどいくつかのサービスを省くことで低価格を実現しているという。しかし、それでは散髪屋に行く意味はないといっても過言ではない。散髪屋は、やはり人のよさそうな親爺がいて、その奥さんが掃除やシャンプーを手伝っているような、昔ながらの床屋という呼び方が似合うような店に限る。そうした店で、ぜひフルコースでお願いしたい。床屋はオヤジにとってのエステだな。




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【2006/10/17 16:18 】 Diary | コメント(8) | トラックバック(0) |

歳とともに食べ物の好みが変化するというのはよくある話である。果たしてこれは酒にも当てはまることなのだろうか。少なくとも俺の場合は、年齢を重ねるに連れ好きな酒が変わってきた。それもほとんどそれしか呑まないというくらい極端に。

大学生の頃は、あの頃の多くの人がそうだったようにウイスキーの水割り一辺倒だった。それが社会人になってから、まずバーボンにはまった。ほとんど毎日のようにバーボンという時期がしばらく続いた。30代が近くなるとどういうわけか、これが日本酒に変わった。各地の旨い地酒が手に入りやすくなったのもその頃だったように思う。それこそいろんな銘柄の日本酒を片っ端から呑んでいた。次にやってきたのがビールだった。30代後半はひたすらビール。家では酒屋からビールをケースで配達してもらい、それを切らしたことがなかった。各国の珍しいビールにも手を出した。その後また日本酒という時代があったのだが、数年前からはもっぱら焼酎ということになり、現在に至っている。

食べ物に関しては、大学時代にそれまで唯一食べられなかったレバーが食べられるようになった、というか大好物になったぐらいで、それほど好みが変わったという実感がない。それが酒となると、年齢とともに好みが変わり、しかもその酒に忠誠を誓うかのごとくのめり込むことを繰り返してきた。それにしても、気に入ったものがあるとそれに執着し、他のものに眼がいかなくなるという、この幼児性はどうしたものだろう。




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【2006/10/13 14:48 】 Drinking | コメント(22) | トラックバック(0) |

今朝の出勤途中、やたらとたくさんのゴミが出ているゴミ置き場を眼にした。そのゴミ置き場のある建物には、20世帯ぐらいは入っているとは思うのだが、それにしても量が多い。今日はビン、缶、ペットボトルの収集日。空缶でいっぱいになった大きなゴミ袋がいくつも積み上げられている。どういう理由からか、我が街のある自治体では、缶ゴミはつぶさずにそのまま出すことになっているので、余計にかさばることとなる。

「なるほどね…」。大量の缶ゴミを見て、俺はひとり心の中で合点した。そのゴミ置き場は、とあるビール会社の社宅のもの。当然のように、ゴミ袋から透けて見える缶は、そのビール会社の銘柄のものばかり。社員が自社製品をせっせと消費しているということなのだろう。日本のサラリーマンの会社に対する忠誠心は、まだまだ健在のようだ。それにしても、意外だったのが、そのほとんどが発泡酒であったこと。いまや、ビール会社の社員の家庭ですら、呑んでいるのはビールではなく発泡酒ということなのか。

そういえば、長い間ビールを呑んでない気がする。今夕に予定されているフットサルの帰りに、久々にビールでも呑もうかな。




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【2006/10/11 15:30 】 Drinking | コメント(12) | トラックバック(0) |

俺がフットボールを本格的に始めたのは中学生に入学してからだった。今としたら随分と遅いスタートだが、当時住んでいたところでは少年サッカーチームがある限られた地域にしか存在しなかったので、中学生になってはじめてフットボールに取り組むというのもさほど珍しいことではなかった。

当時のスポーツ少年の典型で、俺も当初は野球部に入部するつもりだった。しかし、俺には野球部員は全員坊主という決まりがどうしても嫌でしようがなかった。そこで坊主頭を回避するために、テニス部に体験入部することにした。今ではほとんど坊主に近い髪形なのに、その頃はいったい何をそんなに色気づいていたのか。ところが、このテニス部というのがとんでもないところだった。新入生は、ただひたすら筋肉トレーニングあるのみ。その年代でそんなことをすれば、百害あって一理なしというのは今では常識だが、当時はそれが当たり前のように行われていたし、いわゆるそのしごきには入部志望者をふるい落とす意味もあったようだ。

ある日の体育の授業のときのこと。体育の先生が俺に声をかけてきた。「どうだ、テニスはおもろいか?」「いいえ、毎日走ったり、腹筋したり、腕立てしたりばっかりで。一度もボールを打ったこともないし、ラケットも買わせてもらえません…」「ほほぉう。どうだ、サッカー部に入らんか。サッカー部に入ったら、その日からボール蹴らせてやるぞ」。その体育教師はサッカー部の監督でもあった。「でも、もうテニス部に入部希望書を提出してしまったので…」「そんなもん、集計は俺がやるんや。書き換えておいてやるわ」「え?は、はい…」。何とも情けないきっかけだが、とにかく、テニス部でのしごきに嫌気が差していた俺は、こうしてフットボールを始めることとなった。

俺が通っていた中学校は、陸上や水泳で全国大会優勝者を輩出するなど非常にスポーツの盛んな学校だった。俺が通っていた当時、陸上男子400mリレーの中学記録はうちの学校が保持していた。しかし、そんな中にあって、俺が入学した当時のサッカー部は突出して弱かった。そこに転任してきて部の監督に就任したのが、俺に声をかけてきた体育の先生。彼は、前年度優勝校から我が校へやって来たばかりだった。

はたして、入部してみると、回りはバスケット部、バトミントン部、テニス部など、みんな監督が他のクラブ希望者の中から強引に勧誘してきた者ばかりだった。というか、監督の甘言にのせられて、しごきから逃げてきた奴らばかりだった。そんな1年生を集めて監督曰く「いいか、お前らが3年になった時には絶対に優勝させてやる」。嘘でしょう…。少ないとはいえ、他の中学校には地域に少年サッカーチームのあるところもある。彼らは小学校のときからサッカーを始めている。それに比べて我々は、他のクラブから寄せ集められてきた未経験者ばかり。その言葉を真剣に受け止める奴は一人もいなかった。

約束通り監督は練習に参加した初日からボールを蹴らせてくれた。無茶な筋トレやしごきの類も一切なかった。俺が一時膝の成長痛に悩まされたときには、きっちりと練習を休まされた。が、トレーニングが楽だったかと言えば、やはりそれなりにきつかった。怒鳴られたり、時に拳骨をもらうこともあった。ただ、自分たちでもフットボールが見る見る上達していくのが分かったし、また、それが故に俺たちはますますフットボールにのめり込んで行った。

俺は1年のときから試合に出してもらったが、結局チームは1勝もできなかった。卒業する3年生に勝利の味をプレゼントしてやろうと監督が組んだ、やはり1勝もできなかった学校との卒業記念試合すら負けた。2年生になると俺たちの年代からも数人がレギュラーになった。試合は勝ったり、負けたり。前の年よりは少しは強くなっていた。ベスト8か16ぐらいが最高成績ではなかったか。そして、3年生がチームから引退すると、いよいよ入学時に監督が「優勝させてやる」と言った我々の年代がチームの中心となった。レギュラーの中で、1人の転校生と1人のサッカー部生え抜きを除くと、あとは全員一年生当初に他のクラブから引っこ抜かれてきた奴らばかりだった。

ところが、新チームの今後を占う上で大きな意味を持つ市の新人戦、我がチームはあえなく2回戦で敗退してしまった。PK戦の末の敗戦だった。俺は、最初のPKキッカーとして登場し、これを外してしまった。それが伝染したかのように、後続のキッカーも続々とPKを外して行った。その試合後、ベンチ入りしていた全員が坊主にさせられた。坊主が嫌で野球部に入らなかったのにサッカー部で坊主にさせられるとは思ってもみなかった。それからは、以前にも増して要求レベルの高い練習が始まった。日を経るにつれ、毎日曜日ごとに組まれた練習試合でもほとんど負けないようになっていった。そしていよいよ中学生活最後の大会である総合体育大会に臨むこととなった。

まず、1回戦をレギュラーの何人かを温存しつつも、危なげなく勝つ。迎えた2回戦はまたもやPK戦にもつれ込んでしまったが、今度は俺もきっちり決め、これをものにする。その後は、とんとん拍子で勝ち上がり、そのままの勢いで見事優勝!!市のチャンピオンとなったのである。その後、我がチームは市の代表として県大会に駒を進めた。市大会を制して自信をつけた我々は、県大会でも相手を蹴散らし、すんなりと決勝戦にまでたどり着いた。決勝で待っていたのは、市大会の決勝戦のときと同じ相手。正直言って、「県大会優勝」の文字が脳裏に浮かんだ。が、結果は0-1の惜敗。あえなく返り討ちにあってしまった。ほとんどの者がそうであるように、俺たちの中学でのフットボールも敗戦で幕を閉じた。

それでも中学でのフットボールを振り返るとそれなりの達成感と満足感があった。何しろ最初の年に1勝もできなかったチームが、わずか2年ちょっとで市大会優勝、県大会準優勝という結果を残したのだ。クラスメートの中には、陸上女子100m・200m全国二冠の女の子とか、水泳男子長距離で全国3位の奴もいて、彼らに比べればその成績は実にささやかものではあった。しかし、俺にとっては十分に誇らしいものだった。俺をフットボールに誘ってくれた、中原先生には心からお礼を言いたい。



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【2006/10/05 19:31 】 Old Days | コメント(8) | トラックバック(0) |

昨夜も、とある店に顔を出した。その店で呑んでいると、ある常連さんが俺の旧知の人間を伴って入ってきた。まさか、その常連さんが彼と知り合いだったとは知らなかったので、その意外な組み合わせにひどく驚かされた。この店ではそういうことが、これまでも何度かあった。不思議な店だ。

しかも、その彼とは確か、かれこれ17年ぐらい会っていないはず。ところが、この店で長い間音信が不通になっていた人と思いがけず再会するというのも、これが初めてのことではない。つくづく不思議な店だ。

「二人が知り合いとは知らなかったなぁ。それにしても、久しぶりだねぇ。10何年ぶり?」「いや、今年の初め、あの会社のパーティーでお会いしましたよ」。あ、そうだった…。



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【2006/10/03 18:27 】 Diary | コメント(8) | トラックバック(0) |

ひと口に少年サッカーといっても、指導体制や指導方針も違い、それぞれのチームがそれぞれに苦労をしていると思う。うちの少年サッカーチームの指導体制はこうである。チームを構成しているのは、1・2年のSLクラス、3・4年のLLクラス、それに5・6年のLクラスの3カテゴリー。それぞれのカテゴリーにコーチが3~5人付き、そのうちの一人が監督を務める。そしてその全体を見るのが代表ということになる。

どういうわけかこの4月、俺はチームの代表を任されることとなった。代表と言っても、まあ、態のいい雑用係。いろんな雑音に悩まされながらも、どうにかここまで務めてきた。ところがこの夏、1・2年の監督を務めるコーチが海外に転勤となってしまった。そこで代表である俺が1・2年の監督も兼務することとなった。ここ2ヶ月ほどこの宇宙人のような子供たちを指導して、はじめて分かったことがいくつかある。

まず、宇宙人はフットボールよりも圧倒的に砂遊びがお好きである。試合の最中にふとベンチを振り返ると砂の山がいくつもできているということなどザラである。彼らがおしゃべりをしないでおとなしくしていたら、砂遊びに夢中であると思ってまず間違いない。

また、彼らはとにかく何でもやりたがる。練習課題で負けた方に「あそこの木にタッチして帰ってくる」といった、いわゆる罰走などを設けると、勝った方までが走りたがる。「走ってもいい?」と聞いてくる。おお、いくらでも好きなだけ、走れ、走れ。

何でも競争したがるのも、この年代の特徴か。練習前や練習後のジョギングでも、だんだんスピードが上がって、いつの間にかかけっこ状態になる。それでは、ウォーミングアップやクールダウンにならないんだけどねぇ…。

加えて、やたらとビブス(練習のときに敵味方を識別するために着るベストのようなもの)を着たがる。鬼ごっこの鬼にビブスを付けさせても、鬼になりたがる。ビブスが渡らないと泣き出す子までいる。

これだけではない。宇宙人は、自分に身近な目上の人をつい「先生」と呼んでしまう。これまで練習中に、何度「先生」と呼びかけられたことか。彼らにも「先生」ではなく「コーチ」だという認識はあるようなのだが、それでも思わず「先生」という呼称が口をついて出てきてしまうようだ。それでいて話と言えば、「この間ね、レベル65でボスキャラやっつけたよ」とか「クラスの○○君ちに遊びに行ったんだ」といった類のこと。練習中にクイズを出されたこともある。「先生」と呼びかけておきながら、すっかりお友達扱いである。

彼らならではの微笑ましい習性は、まだある。宇宙人はとりあえず、「ハイっ!」と大きな声で返事する。「今の説明でみんな分かったかな?」「ハイっ!」「それじゃぁ、分からなかった人?」「「ハイっ!」。これである。俺にとって、宇宙人はまだまだ謎が多い。




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【2006/10/02 15:18 】 Kids & Kids' Football | コメント(10) | トラックバック(0) |

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