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title:オヤジからのキラーパス

黄昏時。電車の揺れに会社帰りの疲れた身を委ねていると、不意に沿線の家の夕餉の光景が眼に飛び込んでくることがある。たとえばそれは、決して大きいとはいえないマンションの、これまた小じんまりとしたベランダの窓に切り取られた、どこにでもある一家団欒の風景。おそらくそれは、家族が一日のうちでいちばん幸せな気分に包まれる時間に違いない。にもかかわらず、その光景に小さく胸が疼くのは何故だろう。

人様の暮らしぶりを心ならずも覗いてしまったという後ろめたさなのか。その食卓のあまりの慎ましやかさに胸を突かれたのか。はたまた、まだ幼かった自分が家族と共有したほのかに温かいひとときへのノスタルジーなのか。それとも、今まで自分がそのような時間をあまりにおろそかにしてきたことへの改悛の情なのか。そのどれもが違うような気がする。あえて言うなら、まだ幼き我が子を見つめているうちに、そのあまりの儚さに思わずギュッと抱きしめたくなる、そんな感覚に似ているかもしれない。

「庶民」とは一部の特権階級を除いた、その他ひとつの大きな塊ではない。一人ひとりが、ちっぽけで、脆くて、でも、かけがえのない大切なものを、必死に守りながら身を寄せ合って生きている。政治に携わる者には、確かにそれなりの知識も、経験も、時には度胸も必要だろう。だが、いちばん大切なのはか弱き存在を思いやれる感性だ。今の政治家には、そんな当たり前の、そしていちばん大事なものが抜け落ちている。

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Feeded by morning star
【2006/09/27 15:37 】 Politics | コメント(12) | トラックバック(0) |