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title:オヤジからのキラーパス

幼稚園からの帰りのこと。一緒に帰っていた友達が、八百屋の店先で籠からサクランボをつまんでポイッと口の中へ入れた。唖然とする僕を見ながら、彼はこう言った。「いいんだよ、これ。食べても」。へぇ、そうなんだ。僕は彼に倣ってサクランボを口にした。おいしい…。ひとつでは収まらなくなる。ひとつ、またひとつ。口の中へと放り込む。その時、八百屋のおばちゃんの怒声が響いた。「こら!食べるならお金払ってからッ」。ビックリする僕に友達がひと言、「○○ちゃん、食べすぎだよ」。

こういうこともあった。ある日、僕はおもちゃの10円玉を握り締めて、駄菓子屋へと向かった。「これ、ください」。今度はちゃんと、お金はある(つもりだった)。「ごめんね、これじゃ買えないのよ」「どうして」「これはホンモノのお金じゃないからね」「これ、10円だよ」。そんなやり取りをかなりしつこく続けたのだろう。いつの間にか家に連絡したらしく、しばらくすると母親が迎えに来た。「こういうホントのお金じゃなきゃ、モノは買えないのよ」。そう言いながら、母親はお店のおばあちゃんにお金を払って駄菓子を買ってくれた。母親に手を引かれながら帰る途中、おもちゃの10円玉を見つめながら僕は思った。「こんなにそっくりなのに、どうしてこれじゃダメなんだろう。本物の10円玉をつくれる人はいいなぁ」。

今から40年以上も前、八戸で幼稚園に通い始めた頃の話だ。俺が、生まれて初めてお金というものを意識したのは多分この頃だ。

これはいわきでのことだから、小学校に入学したころだと思う。その頃僕は毎日10円の小遣いをもらい、それでくじを引いたり、駄菓子を買ったりしていた。近くでお祭りがあり、露店が並んだ日のこと。母親は今日は特別だといって、いつもの倍の20円ずつ、弟の分と合わせて40円を僕に握らせてくれた。いつもより贅沢な気分で人ごみの中を歩きながら、僕は最初に10円のものに眼をつけた。しかし、店を回っているうちに、どうしても20円のものが欲しくなってしまった。いつもの小遣いでは買えない金額である。これこそ祭りの日の贅沢である。かといって最初に眼をつけた10円のものも捨てがたい。そこで僕は弟に5円のくじを2回引かせ、自分は20円のものと10円のものの両方をゲットした。「いいか。お兄ちゃんはこれとこれのふたつだろう。○○ちゃんもくじを2回引いてこれとこれをもらったよね。一緒だね」。そんな文字通り子供騙しの論理で弟の小遣いを搾取した。20円のものが何で、10円のものが何であったかはさっぱり思い出せないが、金額のことだけは今でも鮮明に覚えている。

お金のことを意識し始めてからたったの2、3年で、こんな意地汚さだけはしっかりと身に付けていたようである。今でも思い返すと罪の意識にきりきりと胸が締め付けられる。

先ごろ日本語版がリリースされた『Google Earth』 で、昔住んでいたところを回りながら当時のことをいろいろ思い返しているうちに、金にまつわるつまらない思い出に辿り着いてしまった。これも、月末のせいだからだろうか。ま、金に困っているのは何も月末に限ったことではないのだが…。


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【2006/09/20 17:03 】 Old Days | コメント(16) | トラックバック(0) |