title:オヤジからのキラーパス

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Feeded by morning star
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もう、かれこれ5、6年も前の話になるであろうか。

その日、仕事で遅くなった俺は会社の近くでタクシーを拾った。運転手は深夜乗務員としては珍しく女性だった。歳の頃は50代後半か。若い頃はさぞかし美人だったろうと思わせる、整った顔立ちをしていた。

タクシーの運転手には、世間話の好きな饒舌なタイプと道を聞く以外余計なことは一切喋らない寡黙なタイプの人間がいるが、彼女は前者の方であった。行き先を告げるやいなや、気風のいい語り口調で話しかけてきた。

「お客さん、こんな遅くまでお仕事ですか?大変ですね。いえ、私もこう見えてね、少し前までは、バリバリに働いていたんですよ。いわゆる女社長というやつでした。ま、女社長といっても、私が起業したわけじゃなく、大学を出て、親の家業を継いだだけなんですけどね。仕事ですか?いわゆる解体屋ってやつです。ビルとかをぶっ壊す、あれですよ。建物を建てるのはともかく、ガンガン壊していくのは、性に合っていたんでしょうね。もう、仕事が楽しくて、楽しくて。毎日が、仕事、麻雀、仕事、麻雀…の繰り返し。ええ、そうなんですよ。当時の私は、仕事と同じぐらいに麻雀にのめりこんでいましてね。男衆に混じって結構高いレートで打ってました。今でも麻雀は相変らず大好きでね。時々一人でふらりと雀荘に行って打つこともありますよ」

「会社はね、一時期は信じられないくらい儲かったんですよ。バブルの頃なんて、営業もしないのに、次から次へと、それこそ請け負いきれないくらいの仕事が向こうから勝手に来ましたからね。それが、バブルの崩壊とともにおジャンですよ。仕事の単価も坪あたり半額くらいに下がちゃってね。決して楽な商売ではありませんから、それじゃあ、割に合わない。それに、私も現場に出て作業の指揮をしていましたが、そういつまでも体力が続くわけでもないですしね。いい頃合かなと思って、親の代から続いた会社を畳みました。それで、こうしてタクシーの運転手をやっている次第なんですよ。幸い娘二人も大学を卒業してますしね。私一人が食べて、手慰みに麻雀をやるくらいは、この商売で稼げますから。従業員を抱えて会社をやっていたころに比べれば、今は、気楽なもんですよ」

「はあ?旦那ですか?旦那なんていませんよ。仕事に夢中だったので、結婚なんて考えたことはなかったですもん。男の人に頼らなくても十分生きていけましたし。それにうちの両親は夫婦仲が悪くて…。それを見て育ったせいもあるんでしょうね。結婚なんて絶対にしないと思ってました。え?娘?もちろん娘は私の実の子供ですよ。実はですね、私は結婚はしたくなかったけど、子供だけは欲しかった。だから、大学時代の、あ、私は一応慶応を出たんですけどね、その頃の仲間でいちばん良さそうな種を選んで、つくってもらいましたよ。ちょっと協力してよ、って感じでね。もちろん、認知してくれなんてケチなことは言いません。養育費だってビタ一文もらってない。全部私が稼いだお金で立派に育てました。女手ひとつでね。たいしたもんでしょう。ええ、私の種を選ぶ眼が確かだったんでしょうね。二人ともちゃんと慶応を卒業しましたよ」

「いやぁ、今夜はお客さんと話ができて楽しかったです。運良く最後に長い1本を乗っていただけましたので、今日はこれで上がりにします。麻雀の話をしたら、無性に打ちたくなってきたので、上がったら雀荘にでも繰り出しましょうかね。どうも、ありがとうございました。お忘れ物はございませんか。おやすみなさい」

会社から自宅までは高速を使って30分弱。呑んだ帰りならともかく、仕事帰りの深夜タクシーでは神経が昂ぶっているせいか寝る気になれない。いつもなら、運転手のつまらない世間話に適当に相槌を打ったり、さもなくばじっと黙って車窓を流れていく水銀灯を眺めているのだが、その日は結構まともに運転手さんの話のお相手をさせていただいたのだった。

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Feeded by morning star
【2008/02/26 15:58 】 Old Days | コメント(10) | トラックバック(0) |

今日は久しぶりにカラリと晴れて、いかにも夏らしい1日となった。日向と日陰が強いコントラストを織りなすこんな日に、決まって思い出す風景がある。夏休みの学校のグラウンドである。真っ白に照り返すグラウンド。その周りに濃い影を落とす木立。普段は掛け声が飛び交うテニスコートやハンドボールコートには人影もない。いつもグラウンドの半面を使用している陸上部員の姿も見えない。グラウンド全部がわれらサッカー部のものだった。そして、いつもより広く感じられるグラウンドの風景は、ある水の記憶へと連なっていくのである。

わが高校のサッカー部では、毎年夏休みに学校敷地内にある宿泊施設を利用して、1週間程度の合宿を行っていた。早朝の散歩に始まり、午前中はサーキットトレーニングなどのフィジカルトレーニング、午後は戦術練習、夕食後にはルール講習もしくは体育館でレクレーションを兼ねたバスケットボールかフットサル。今から考えたら、こんな殺人的なスケジュールで、よくぞ身体がもったものだと思う。

合宿では肉体的な疲労もきつかったが、何といってもつらかったのは喉の渇きであった。当時は練習中に水を飲むことはタブーとされていた。水を飲むと体力が落ちると思われていたからである。もちろん誤解である。

大量に発汗した後に水をがぶ飲みすると、胃壁や腸壁からいちどきに水分が吸収され、血液濃度が急激に下がる。そうすると身体は、水分不足であるにもかかわらず、それまでの血液濃度を保つために水分を排出しようとする。それがかえって水分不足を呼ぶことになる。しかし、適切な給水方法で補ってやれば、そんな状態にはならない。身体によくなかったのは、水を飲むことではなく、水の飲み方だったのだ。発汗により体内から流出した水分や塩分、ミネラルはきちんと補給してやらなければいけない。運動中であれば、なおさらのことである。さもなければ、重篤な事態を招きかねない。あの炎天下の合宿で「水を飲むな」という指導を律儀に守っていたら、今頃俺はこの世にいなかったかもしれない。では、我われはどのようにして身体の渇きを癒し、生きながらえたのか。

方法はふたつあった。ひとつは、手洗い場のある方向へわざとミスキックするというもの。ボールを取りに行く際に隠れて水を飲むわけだ。が、この方法は比較的成功率が低かった。敵もすっかりお見通しで、手洗い場のほうに転がったボールを取りに行こうとすると、その背中に向かって監督や先輩の声が飛んでくる。「水は、飲むなよ!」。そこまで目をつけられては、さすがにノーチャンスである。

もうひとつの方法は、練習と練習の合間の短い休憩時間に試みられた。このとき、顔を洗うようなふりをして喉を潤すのである。水を飲むことは禁止されていたが、手や顔を洗ったり、頭から水を浴びることは許されていた。両手を合わせて水道の水を受け、手の平にたまった水をすすりながら顔をこする。見た目には顔を洗っているようにしか見えない。とはいえ、ことさら丁寧に顔を洗っていたのでは怪しまれる。この方法では、せいぜい2、3回顔をこするうちにわずかの水をすすり込むのがやっとだった。

他にも、頭を蛇口の下にもっていき、水を浴びるふりをして、頬を伝ってくる水をすすり込むというのもあった。しかし、この方法は苦労の割には思ったほどたくさんの水が飲めないのと、何よりも水をすする音でばれてしまうという欠点があって、すぐに廃れてしまった。

こうした涙ぐましい努力にもかかわらず、練習中にありつける水は、身体が欲している量に比べると余りにもわずかであった。それだけに、グラウンド整備と練習用具の片づけを終えて、ようやくありついた水は何物にも代え難くうまかった。心を震わせるほどの甘露であった。蛇口に口をつけて飲む、わが高校の水道の水は、Evianにも劣らぬ美味だった。今ではもっぱら酒の毎日だが、ただの水道水に至福の喜びを感じていた青春時代もあったのである。



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【2007/07/24 19:39 】 Old Days | コメント(8) | トラックバック(0) |

関東地方ではここのところ気温の低い日が続いている。おかげで今年は桜の花の持ちがいいと聞くが、さすがに見ごろは過ぎた感がある。あと数日もすれば、枝々にともる薄紅はそのほとんどを新緑に取って代わられるのだろう。

桜の季節になると決まって思い出す風景がある。それは中学校の入学式の日のことだった。その日、新入生はまず校庭に集まり、そこに張り出されているクラス分けの表を確認して、自分の教室に集合することになっていた。

俺の中学生生活は遅刻から始まった。学校に着いたときには、新入生で溢れているはずの校庭には誰の姿もなかった。俺は、折からの春風にあおられた花吹雪の中で一人立ち尽くしていた。薄紅に染まった空間は現実感が希薄で、遅刻してしまったことすら自分には関係のない出来事のように思えた。真新しい詰襟の制服の肩に、花びらが降り注いでいた。眼の前に広がる無人の校庭がやたらと広く感じられた。誰もいない校庭に、俺だけがいた。誰もいない校庭に、花びらだけが乱舞していた。その幻想的な風景に俺は心を奪われていた。とても幸せで、何故かとても不安だった。

「○○君かね?」。気が付くと一人の教師が傍らに立っていた。時間になっても教室に姿を見せなかった俺を心配して探しに来たのだろう。「君は3組だよ」。俺は教師に連れられて自分の教室へと向かった。後ろを振り返ると、校庭を囲む桜木を背景に、桜の花びらが舞い続けていた。あれほどの圧倒的な花吹雪は眼にしたことがない。



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【2007/04/05 12:14 】 Old Days | コメント(18) | トラックバック(0) |

昨日は、電車の中で小さな受験生をたくさん見かけた。多くの私立中学の入学試験日に当たっていたようだ。幼い頃から塾に通い、一生懸命勉強してきたその成果が試される日である。友達や家族と過ごす大切な時間を犠牲にしてまでやることか、という思いもないではないが、価値観は人それぞれである。みんな合格するといいのになと思いながら、その姿を眺めた。

俺の場合、高校も、大学も、特別な努力をせずとも入れる、自分のオツム相応の学校に進んだ。一生懸命、受験勉強をしたという経験もない。それは、学校で行われる普通の定期試験でも同様だった。

そもそも試験というものは、普段の授業を通してどのくらいの習熟度に達しているかを見るものであって、試験に向けて特別に勉強をするのはどこか違うのではないかという思いが俺の中にあった。本気で、「卑怯だ」とすら思っていた。ま、試験で俺の何が分かるかという、あの年代特有の青臭い考えも意識の底辺にあったのだろう。そんな調子だったから、もちろん学校の成績は余り芳しくなかったし、入学できた学校もいわゆる一流校と呼ばれるところではなかった。

高校時代、あまりに勉強しない俺をつかまえて父親が言ったことがある。「お前が本気になって勉強すれば、東大にだって入れるはずだ」。これまた、随分と大きく出たものである。冗談にもほどがあろう。それとも真正の親バカか?で、その根拠を問うと、彼は「俺の息子だから」とのたまった。単なるバカ親であった…。





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【2007/02/02 17:07 】 Old Days | コメント(8) | トラックバック(0) |

人並みに夢を持ったことがある。夢と言えるほど大げさなものでもないが、ぼんやりと「こんなものになれたらいいなぁ」、「こんなふうに生きられたらいいなぁ」と思い描き、憧れたものがいくつかあった。たとえばそれは、次のようなものだった。

自動車運転手
これは正確に言うと「なりたかったもの」ではないのかもしれない。そもそも「職業」とか「仕事」とかの概念がまだ明確ではなかった幼稚園児の頃に夢想したことだ。「車を運転してみたいと思っていた」ぐらいの感じかな。当時の俺は、自動車とはハンドルを動かすエネルギーを増幅して走るものだと思っていた。真っ直ぐな道を走っていて、父親に「ハンドルを動かしていないのに、どうして車が動いているの?」と聞いた記憶がある。

プロ野球選手
父親の実家に帰省した時に、祖母に「いっぱい勉強しなさい」と言われて「僕はプロ野球選手になるけん、勉強はせんでもええんや」と言った記憶がある。そんな俺に、昔教師をしていた祖母は「プロ野球選手やら誰もがなれるわけやないんやけん、しっかり勉強せないかんよ」と言った。勉強をして、いい大学に入れば、いい生活ができるという神話が、まだリアリティを持っていた頃の話だ。俺には、ちゃんと勉強するよりも、プロ野球の選手になるほうがずっと簡単なことのように思えた。

探偵
小学校の卒業時に将来の夢として「探偵になりたい」と書いた。もちろん素行調査などを生業とするような探偵ではない。ホームズとかポワロのように、難事件を明晰な頭脳で見事解決する、いわゆる「名探偵」になりたかったのだ。当時はアポロが月面到達という偉業を成し遂げた直後で、男子のほとんどが「宇宙飛行士になりたい」と書いていたのを覚えている。とにかく、皆と一緒というのが気に食わなかった。というか、何も考えずにとりあえず皆と同じように「右へ倣え」するという行為が嫌だった。仲のいい友達には「絶対に、宇宙飛行士って書くなよ」と言って回った。

プロ・フットボーラー
中学に入ってフットボールを始めた。その頃日本にプロ・フットボールは存在していなかったので、イングランドか西ドイツでプロ選手になることを想定していた。この頃、俺にとってのアイドルは、マンチェスターUのジョージ・ベストというウイング・プレーヤーだった。彼は「5人目のビートルズ」とか「初めて女性を競技場にひきつけたフットボーラー」と呼ばれた、当時を代表するセックス・シンボルの一人だった。長髪をなびかせながらドリブルで切り込んでいく姿は、とにかくセクシーだった。ちょうど色気づいた頃だったから、彼のように世界的規模でモテたいという大それた夢を抱いていたのかもしれない。

作家
いろいろなエッセイや私小説風の作品を読んだが、俺は人と違ったところばかりを読み取っていたのかもしれない。そんな歪んだ読書のおかげで、俺の中にはえらく歪んだ作家像が結ばれていった。つまり…。いつも酒を呑んでいる。やたら旨いものを食っている。比較的簡単に借金ができる。その借金を律儀に返す必要はない。女に眼がない、だらしない。生きている合間に仕事をすればいい。自堕落な生活を送っていても批難の眼で見られない。良心の呵責さえ感じていればそれで許される。傲慢にして小心者…etc. 作家になって何かを表現したかったわけではない。ただ、そういうふうに暮らせたらいいなぁと身勝手なことを考えていただけである。


こうして書いてきて改めて思うが、俺は何かになりたいと夢見ながら、それに向けて具体的な努力をしたことがない。何もせず、ただ、いたずらに夢想していただけだった。可能性を求めて尽力するのではなく、無為に過ごすことによって自らの可能性を狭めながら生きてきて、結局今いるところに流れ着いてしまったという気がしないでもない。俺はそういう輩がいちばん嫌いだ。




Feeded by morning star
【2007/01/19 16:58 】 Old Days | コメント(10) | トラックバック(0) |

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